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「原発ゼロ」か「脱原発と決別」か 朝日と読売も討論すればいい/田原総一朗さんに聞く(下)

   福島第1原発事故を受け、インターネット上では、今も「将来的には脱原発」や「原発新設も検討すべき」といった様々な意見が表明され、議論が続いている。ジャーナリストの田原総一朗さんは、社説で異なる意見を主張している新聞社同士も議論を戦わせればいい、と促している。

「明日にでも全面脱原発」は無責任

田原さんの原発関連本が再注目され、復刊した。新しい対談本でも原発問題を論じている。
田原さんの原発関連本が再注目され、復刊した。新しい対談本でも原発問題を論じている。

――「『脱原発』は60年安保に似ている」との田原さんの指摘を伺いましたが、読者からの反応はどのようなものでしたか。賛同や反発がありましたか。

田原 それはどうでしょうか。いずれにせよ、遠い将来の脱原発、という理念や意見を持つ人がいても当然、いいわけです。しかし、仮に「明日にでも全面脱原発」という主張をする人がいれば、ほとんどいないと思いますが、それは無責任でしょう。実現性を考慮していないからです。
   ただ、「脱原発」や「反原発」の運動をやっている人たちの中には、「体制派、反体制派」という構図の中で、「自分は体制派に与(くみ)しない、だから脱原発だ」と、具体的な議論抜きで主張しているように見受けられる人もいます。

――「脱原発」については、朝日新聞が7月の社説特集で「原発ゼロ社会-いまこそ政策の大転換を」と訴えるなどしています。こうした論調に反対ですか。

田原 朝日が将来的な脱原発を理念として主張するのは、それはそれでいいでしょう。理念としては、ね。
   しかし、先ほど言ったように、「エネルギーの代替をどうするか」や、使用済み核燃料の問題などをきちんと議論しなければなりません。希望的観測だけでは困ります。

―― 一方、読売新聞の9月7日の社説では「展望なき『脱原発』と決別を」として、「高性能で安全な原発を今後も新設していく、という選択肢を排除すべきではない」と主張しています。

田原 そういう意見もあっていいのです。実際問題としては、新設は当面できませんがね。
   繰り返しになりますが、「脱原発」にせよ、「原発新設も選択肢」にせよ、仲間内だけではなく、反対意見の人たちと議論をするべきだ、と言っているのです。

議論続けていけば煮詰まっていく

――田原さんご自身は、原発のあり方について、今後どうすれば良いとお考えですか。例えば、11月の日本経済新聞の世論調査の質問項目では、「増やすべきだ」「現状を維持すべきだ」「減らすべきだ」「すべてなくすべきだ」など6個の選択肢を示しています。このうち、田原さんならどれを選びますか。

田原 何々すべきだ、ということではなく、実際として「減っていく」ことになると思います。前にも言いましたが、少なくとも10年、20年先まで原発新設は無理ですし、原発の「寿命」が来れば止める、ということを続けていけば減っていきます。
   自然エネルギーの開発が将来的に格段に進んで、原発の代替になるようなら代替させればいいし、無理なら原発を含めたほかの選択肢を検討することになるのでしょう。

――田原さんは、現状では原発をめぐる議論が十分になされていないと指摘し、議論の重要性を強調されています。なぜ原発をめぐる議論がなかなか深まっていかないのでしょうか。

田原 新聞やテレビといった既存メディアの責任もあるでしょう。論調が違うメディア、例えば朝日新聞と読売新聞は、社説で自説を主張しっ放しにするのではなく、互いの論説委員同士が直接討論すれば面白い。そういうことをやっていない。
   一方、ツイッターなどのネットでは、「脱原発派」と「推進・必要派」が議論をしており、可能性を感じています。
   議論する中では、かみ合わないやりとりもあるでしょうが、続けていけば煮詰まっていくものです。新聞やテレビも議論を深める努力をするべきだと思います。

<田原総一朗さん プロフィール>

たはら そういちろう 1934年生まれ。早稲田大学文学部卒業。岩波映画製作所、テレビ東京を経て、77年からフリーに。「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日系)などでテレビジャーナリズムの新しい可能性を切り開いたと評されている。98年、「放送批評懇談会35周年記念 城戸又一賞」を受賞。現在、早稲田大学特命教授で、同大学の「大隈塾」塾頭も務める。「激論!クロスファイア」(BS朝日)に出演中。

   著書に「日本の戦争」(小学館)、「日本政治の正体」(朝日新聞出版)など多数。近著に「田原式つい本音を言わせてしまう技術」(幻冬舎)、「なぜ日本は『大東亜戦争』を戦ったのか」(PHP研究所)、「Twitterの神々」(講談社)、「誰も書かなかった日本の戦争」(ポプラ社)などがある。