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鳥インフル、ヒト同士で感染の疑い「排除できない」 変異あれば大流行の可能性も

   中国の鳥インフルエンザの勢いが止まらない。2013年4月18日現在、これまでに83人の感染が確認され、このうち17人が死亡した。

   さらに、同じ家族で複数の感染が確認されていることについて、中国衛生当局はヒト同士の感染が起きた可能性も排除できないと発表した。

ヒトヒト感染があるかないかは「推定有罪」(専門家)

   中国の衛生当局は2013年4月17日、国内メディアを対象にした記者会見で、H7N9型の鳥インフルエンザウイルスへの感染が最初に確認された上海市の87歳の男性の家族について、同じ時期に肺炎にかかっていた男性の長男も、その後の分析で感染を最終的に認定したことを明らかにした。家族内で複数の感染が明らかになったのは、上海市の50代の夫婦に続いて2例目。

   衛生当局は、不特定多数のヒトへの感染拡大とは異なるため、いわゆる「ヒトからヒトへの感染」とは言えないとしているが、これらのケースについて、家族内での限定的なヒト同士の感染が起きた可能性も排除できないとしている。

   結局のところヒト同士の感染があるのかないのか、なんとも歯切れの悪いこの物言いに、2ちゃんねるなどのインターネット上では「中国ではまだ何かヤバいことを隠しているのではないか」と不安視する声が相次いでいる。

   しかし、外務省医務官として北京駐在経験があり、中国の感染症事情に詳しい関西福祉大学の勝田吉彰教授はこんな見方を示す。

「2003年のSARSの時と違って、隠そうと思っても中国版のツイッター、ウェイボーで流れてしまいますから、情報統制は物理的に難しいですよ」

   はっきりしない発表については、現段階では、ヒト同士の感染について統計的に相関関係を示せていないので、「医者の世界では、エビデンス(証拠)がない、というのは世界共通言語です」。「限定的な」というのは「食事やお風呂を一緒にするようなくらい濃厚に接触がある人同士での」という意味で、ヒト同士の感染が実際にあるかないかについては「推定有罪といったところではないでしょうか」という。

   また、隠す意図がないにしても、医療制度が日本ほど整っていない中国では、当局が情報を正確に把握するのが難しいという事情があるそうだ。

「H5N1型」よりもパンデミックの可能性高い

   このH7N9型、怖いのは、仮にウィルスの変異があってヒト同士の感染が起こった場合、パンデミックの可能性も否定できないことだ。

「H7N9型のウィルスは、3種のウィルスが交雑してできたものなのですが、このうち1種類がまだパズルがカチッとはまるようにはなっていないようです。カチっといくようになるまで、更なる変異の可能性が考えられます」(勝田教授)

   これが人間を宿主とする、つまりヒト同士の感染で猛威をふるうように「カチッとはまる」可能性が0ではないのが、H7N9型の特徴だという。

「H5N1型は鶏の受容体にくっつきやすいかたちなので、たまに何かの気まぐれでヒトがかかるかも、という程度なのですが、H7N9型はヒトの受容体にくっつくようになっているんです」(勝田教授)

   つまり人に「ピッタリはまる」ウィルスができやすいというわけだ。したがって大流行になる可能性も、2008年ごろからパンデミックの可能性が指摘され、政府がワクチン備蓄などの対応を進めているH5N1型よりも高いと考えられる。

パニックにならず、手洗いうがい徹底を

   中国では5月の頭に連休があり、尖閣問題があるとはいえ訪日観光客も普段よりは増加することが見込まれる。その中に、感染者がいる可能性もないとは言い切れない。

   一方で、勝田教授はH7N9型ウィルスに対し、日本社会が必要以上にパニックを起こすことに警戒感を示した。タミフルが効くし、予防もできるからだ。

「インフルエンザは飛まつ感染で、感染者といあわせなければ90%は感染しないといっていい。H7N9型ウィルスにはタミフルが効きますし、タミフル耐性がそんなにはやくにできるとも思えない」
「日本は皆保険で医療の条件が良いので、中国と違って、感染の疑いがある人を病院の待合で放っておいたりしませんし、おかしいと思ったらすぐ受診できますよね」

   その上で、今できることとしては、

「2009年に一度騒ぎになって、手洗いやうがいを徹底するようになりましたが、いまは少しゆるんでいます。その時を思い出してはちまきをしめなおすことは必要だと思います」

と話した。

   また、2003年のSARSの際に中国駐在員の子どもが感染をしてもいないのに日本の学校でいじめられた事件を例に挙げながら、「感染者や疑い、可能性のある人に対して、社会的差別をしないように」と、冷静な対応をするよう呼びかけていた。