2024年 4月 18日 (木)

「後藤さんら追悼」をあの京都「三条河原」で そんな計画が変更された歴史的経緯とネットの反応

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京都市歴史資料館「処刑場ではない」

   京都市歴史資料館では、取材に対し、戦国武将が敵とみなした関係者の首を斬ったり、幕末の志士が事件を起こして相手を晒し首にしたりした経緯はあると館員が説明した。

   例えば、豊臣秀吉に疑われて切腹した甥の秀次の妻子や侍女が三条河原で首を斬られるなどしたことが伝わっているという。

   ネット上では、三条河原が処刑場だったという書き込みが見られるが、これは間違いだとした。

「三条河原は、犯罪人を処刑した行政的な場所ではありません。処刑場はかつて、そこではなく、京都の東西2か所にありました。三条河原を処刑場と結びつけるのは危険だと思います。地元の人は、そう言われていい気持ちはしないでしょうから」

   三条河原は、現在では、学生らが集会をするときなどに使われているが、ここで追悼集会をすることの是非については、当事者が決めることだとしている。

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