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スマホで縮小するデジカメ市場で日本ブランドは生き残れるか ニコン、創業100年で企業「ミュージアム」オープン

   光学機器メーカー大手のニコンは2015年10月、創業100年を記念し、自社製品を集めた「ニコンミュージアム」を本社(東京都港区)に開設した。1948年に製造した初号機「ニコン1型」など、一眼レフを中心に歴代のカメラ450点を展示している。

   ニコンはキヤノンと並び、報道カメラマンなどプロに愛用されるカメラの名機を開発し、高い世界シェアを誇る。しかし、スマホの普及でデジカメ市場は世界的に縮小している。ミュージアムを開設したニコンは「このような時期だからこそ、ピンチをチャンスととらえ、魅力的でニコンらしい新製品を出していきたい」としている。

  • 戦後のカメラ史を振り返られる「ニコンミュージアム」(画像はニコンのプレスリリースより)
    戦後のカメラ史を振り返られる「ニコンミュージアム」(画像はニコンのプレスリリースより)
  • 戦後のカメラ史を振り返られる「ニコンミュージアム」(画像はニコンのプレスリリースより)

Nicon1型からDfまで450台がズラリ

   国内には一般財団法人「日本カメラ財団」が運営する「日本カメラ博物館」(東京都千代田区)があるが、メーカーが自社の製品を展示する本格的なミュージアムを開設するのは初めて。

   ニコンは1917年、「欧州技術に依存しない、日本における光学工業の確立を目指して誕生した」(同社)。ミュージアムはニコン100年の歴史を、(1)原点としての光学(2)精密の追求(3)生きた技能の伝承(4)信頼と品質(5)不変性と革新性(6)時代の最高を目指して――というテーマで紹介している。

   ニコンの一眼レフカメラは、その機能性、信頼性の高さから伝統的に報道カメラマンに愛用されている。そのフラッグシップ機は1959年のニコンFに始まり、フィルム時代は1971年のF2、1980年のF3、1988年のF4、1996年のF5、2004年のF6と続いた。F6はフィルムカメラの最高峰として、現在も販売が続いている。

   フィルムカメラ時代は機械式シャッターから電子式シャッター、MF(マニュアルフォーカス)からAF(オートフォーカス)に進化した。ミュージアムはカメラ開発のエピソードや、その時代の技術革新も解説しており、ニコンを通して戦後のカメラ史を振り返ることができる。

レンズ交換デジカメ市場の日本製シェアは90%

   デシタルカメラのフラッグシップ機は1999年、本格的なデジタル一眼レフのさきがけとなったD1がデビュー。2003年のD2、2007年のD3、2012年のD4と進化し、現在は改良型のD4Sが最高峰だ。2013年には、フィルム時代のカメラを思わせるペンタプリズムカバーや操作ダイヤルを備えた最新鋭フルサイズカメラ、Dfを発売。プロカメラマンの間から「昔使っていたF3やFE2といったカメラを思い出す。懐かしさとともにカメラをコントロールする実感がわいてくる」「歴代のニッコールレンズがすべて使える」など話題を呼んだ。そんなカメラが存在するのも、初代Fから続くニコンの伝統があるからだろう。

   しかし、世界のデジカメ市場は、レンズ交換式デシタルカメラ(一眼レフ、ミラーレス)とコンパクトカメラを合わせ、出荷台数は2010年の1億2146万台がピークで、2014年は4343万台へと三分の一近くに落ち込んでいる。いうまでもなく、スマホの普及でコンパクトカメラの需要が激減したのが理由だ。ニコンが得意とするレンズ交換式も2012年の2015万台をピークに2014年は1383万台と減少している(カメラ映像機器工業会調べ)。

   一眼レフなどレンズ交換式デジカメの世界シェアは、キヤノンが44%で1位、次にニコンが34%で2位につけ、この分野では両社をはじめとする日本メーカーが、その技術力の高さでシェア9割を超えている。ニコンは「わが社のカメラは非常に強固なブランド力を有している。これはニコングループの財産であり、我々にはこのブランド力を守る使命がある。魅力的でニコンらしい新製品を出すことで、変わり続ける、進化し続ける姿をお見せしたい」と話している。

   デジカメの中でも付加価値の高いレンズ交換式は収益性が高く、工業製品の中でも日本メーカーが世界市場を席巻し続ける数少ない分野のひとつだ。