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「自由奔放」野坂昭如さん逝く ユーチューブで「あのシーン」再生が急増

   タレントとしてお茶の間でもお馴染みだった作家の野坂昭如さんが85歳で亡くなり、ネット上でも追悼の声が相次いでいる。中でも、印象が強かったのは、「あのシーン」のようだ。

   野坂昭如さんは、2003年に脳梗塞で倒れてからも、リハビリをしながら主に執筆活動を続けていたとされる。

  • 「リハビリ中」からその後は「野坂昭如」だけに
    「リハビリ中」からその後は「野坂昭如」だけに
  • 「リハビリ中」からその後は「野坂昭如」だけに

故・大島渚監督と伝説の「殴り合い」

   ところが、報道によると、15年12月9日夜に東京都杉並区内の自宅で意識がなくなっているのを妻の暘子さんが見つけ、病院に運ばれたものの心不全のために亡くなった。

   野坂さんは、戦後の混乱期を知る「焼跡闇市派」として数々の小説を書き、1967年に「火垂るの墓」などで直木賞を受賞して注目を集めた。しかし、それだけに留まらず、作詞家や歌手、政治家とマルチに活躍し、過激な問題提起をすることもためらわなかった。

   72年には、月刊誌編集長として載せた著名作家の作品でわいせつ文書販売罪に問われ、最高裁まで争ったが、罰金10万円を科せられた。また、83年に参院議員に当選するも、すぐに辞めて、田中角栄元首相を落とすと新潟で衆院選に立候補したこともあった。

   しかし、野坂さんの死去を受けて、ネット上で最も話題なのは、90年に起こしたハプニングだ。

   野坂さんは、映画監督の故・大島渚さんと親しかったが、大島さんの結婚30周年のパーティーで「乱闘」になった。

   野坂さんは、大島さんの横で祝辞を読み上げた後、いきなり大島さんの左ほおに右ストレートのパンチを見舞ったのだ。メガネまで飛ばされた大島さんは、激怒して右手に持ったマイクで2度も野坂さんを殴り、制止が入らなければ危険な状態だった。

「おもちゃのチャチャチャ」も作詞

   野坂昭如さんが突然切れたのは、大島渚さんが野坂さんのスピーチを紹介するのを一時忘れてしまったためだ。野坂さんは当時、お酒に酔った状態だった。

   ユーチューブには、当時の映像が投稿されて人気を集めており、12月10日夕現在で6万回以上も再生されている。ネット上では、この世を去った野坂さんについて、「大島渚と殴り合ってるかな・・・」「天国では仲良く」といった声が相次いでいた。

   テレビのワイドショーでも、追悼特集を組むとともに、2人の殴り合いシーンを繰り返し流している。

   野坂さんが手がけた仕事については、長年にわたってマルチに活躍しただけに、テレビでも、出演者によって思い出は分かれていた。

   日テレ系「ミヤネ屋」では、司会の宮根誠司さん(52)は、野坂さんが「ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか」と歌ったCMを思い出すと告白した。幼稚園や小学校のときに、自分たちでよく口ずさんでいたという。しかし、ほかの出演者からは、「知らない」との声も出ていた。

   フジテレビ系「直撃LIVE グッディ!」では、司会の高橋克実さん(54)は、一番覚えているのが野坂さんの歌「マリリン・モンロー・ノー・リターン」だという。一方、司会の安藤優子さん(57)は、田中角栄元首相を批判して選挙に出たイメージが強いとして、野坂さんが「おもちゃのチャチャチャ」を作詞したことをずっと知らなかったと話していた。