【震災5年 絆はどこに(4)宮城県気仙沼市】
津波と大火災に打ちのめされた魚の街 水産加工業復活で勢いを取り戻せ

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   東日本大震災で、宮城県気仙沼市の鹿折(ししおり)地区は津波と大火災に襲われて壊滅状態となった。夜の街が燃え盛り、火の海となっている様子を上空から映した映像がテレビで流れ、衝撃を受けた人も少なくないだろう。

   あれから5年、鹿折地区では現在、災害公営住宅や水産加工施設の建設が進んでいる。漁業で栄えてきた気仙沼は、本来の姿を取り戻そうと懸命だ。

  • 福寿水産の社員が、フカヒレの加工作業に励む
    福寿水産の社員が、フカヒレの加工作業に励む
  • 自社製品を手にする福寿水産専務・臼井祐介さん
    自社製品を手にする福寿水産専務・臼井祐介さん
  • 袋詰め作業の様子
    袋詰め作業の様子
  • ミヤカン社長・寺田正志さん。2015年4月に竣工した新工場で
    ミヤカン社長・寺田正志さん。2015年4月に竣工した新工場で
  • 鹿折地区は津波と火災で大打撃を受けたが、震災から5年が経過し水産加工施設の再建が進む(写真右奥)
    鹿折地区は津波と火災で大打撃を受けたが、震災から5年が経過し水産加工施設の再建が進む(写真右奥)
  • 地元・気仙沼で水揚げされたサンマを原料にしたミヤカンの缶詰
    地元・気仙沼で水揚げされたサンマを原料にしたミヤカンの缶詰

柱残った工場を再建した矢先にフカヒレ相場が下落

   気仙沼の水産業を語るうえで外せないのが、サメだ。漁獲量は日本一を誇る。

   福寿水産は、社員数20人ほどでサメの加工を手掛ける。震災当日、勤務中だった社員は全員、会社の裏山に避難して助かったが、社屋と工場は津波にのまれた。突如訪れた、事業存続の大ピンチ。専務の臼井祐介さんは、社長で父の弘さんと話し合った。

「社員の生活がかかっている。何とか踏ん張るしかない」

   工場は完全に津波に流されておらず、柱が残っていたのは不幸中の幸いだった。とは言え、建物の中は泥だらけでメチャメチャ、とても業務をすぐに再開できる状態ではない。個々の社員の生活もある。臼井さんは決断を迫られた。震災からしばらく後、社員全員をいったん解雇したのだ。それでも社員は、被災した工場に毎日来て自主的に片づけを手伝った。臼井さんは人づてに、年配の社員がこんなことを口にしていたと耳にする。

「自分を使ってくれてありがたかった。その恩返しのつもりです」

   近くのホテルの一室を「仮事務所」として運営を続けながら、工場は2012年7月に再建を果たす。臼井さんが「ぜひ手伝ってほしい」と願っていた以前の社員も、戻ってきた。港に入る漁船の数は震災前と比べると少ないが、既に魚市場は開いており、冷蔵施設をはじめ水産加工に欠かせない事業者も徐々に稼働を始めていた。ところが、震災とは全く別の問題が発生した。

   同社の主要品であるフカヒレは、中華料理の高級食材として有名だ。しかし中国政府が2012年、フカヒレを「ぜいたく品」として公式晩さん会での使用を禁止する規定を導入すると発表、翌13年には実際に禁止する措置をとった。このため、フカヒレの最大市場である中国での相場が大幅に下落し、その影響が日本を直撃した。

   一部の海外環境保護団体による「反サメ漁キャンペーン」も起きた。フカヒレだけを切り取ってサメを捨てるという残酷な手法に反対したものだが、気仙沼ではフカヒレだけでなく、すり身をはんぺんに、軟骨は健康食材として、さらに皮はバッグや財布に加工される。1匹のサメをすべて無駄なく活用しており、批判は的外れだ。それでも、ようやく震災から立ち上がった臼井さんは神経質にならざるを得なかった。

解雇言い渡した社員が4年後、新工場に戻ってきた

   福寿水産と同じく鹿折で操業していた缶詰製造会社ミヤカンも、津波で被災した。社長の寺田正志さんは震災当日、横浜に出張していた。2日半かけて気仙沼に戻ると、目の前に惨状が広がっていた。地元で水揚げされたサンマやマグロを使った缶詰販売が軌道に乗り始めた時期だけに、ショックは大きかった。

   社員は全員、無事だった。だが事業再開の見通しは全く立たない。震災から1か月後、やむなく社員に解雇を言い渡した。「もしチャンスがあれば再会しよう」と声をかけたが、あまりの被害の大きさに「本当に再建できるのか、自信はありませんでした」と明かす。

   実際、悩んだ。時間の経過とともに取引先には別の会社が入り込んでいる。工場の再建費用自体も課題だった。巨額の資金を投じて事業再開にこぎつけても、利益を上げられる企業体質をつくれなければ意味がない。社員とその家族の生活を預かる社長の立場から、苦悩する日が続いた。それでも、前身の「宮城缶詰」から数えて70年の歴史を持つ会社を、自分の代で簡単に終わらせるわけにはいかなかった。

「他の地域にはない、三陸の海の素材の良さで勝負しようと思いました。当社は魚市場から近く、新鮮な魚を『目利き』して手に入れられる。しょうゆやみそといった調味料は地元産を使うので、気仙沼の食文化を生かせる。『おいしいものをつくる』と気持ちの入った商品こそが、私たちの強みでした」

   工場再建にあたり、気仙沼市が指定する鹿折の「水産加工施設等集積地」を選び、最大で事業費の8分の7の補助が受けられる「水産業共同利用施設復興整備事業」を活用した。震災前に開発した「ピリ辛ツナ」はじめ、商品力には自信があった。親会社「SSKセールス」の強い販売力も武器となった。

   肝心なのは、熟練の人材の確保だ。社員の中には、既に再就職していた人もいた。寺田さんは震災以降、被災した社員の家を訪問して救援物資を届け、連絡を絶やさず、「ミヤカンが再開したら、また一緒に仕事しよう」「ミヤカンでなら、水産加工の技術を磨ける」と呼びかけるのを忘れなかった。2015年4月に新工場が竣工したときには、昔なじみの顔ぶれが並んでいた。「ご両親から『ミヤカンさんに戻りなさい』と説得された人もいたようです」。

人手不足が深刻化、それでも明るい兆しはある

   2社とも、事業再開後の歩みを徐々に進めている。福寿水産にとっては、フカヒレの相場が一時と比べれば落ち着いてきたのは好材料だ。2016年6月には新工場が竣工予定で、新商品開発を視野に入れる。専務の臼井さんは、「消費者のニーズは多様化してきており、新しいことにチャレンジしていかないと先細りしかねません」と話す。一方、ミヤカンは再開後、生産高が事業計画を上回った。3年目には震災前の売上高に戻すとの目標を立てている。

   攻勢をかけたい両社にとって悩ましいのが、人手不足の深刻化だ。募集しても、思うように人材が確保できない。

   2010年の国勢調査によると、気仙沼市の人口は7万3489人だったが、震災後の2014年3月末の住民基本台帳人口では6万8232人、さらに2016年2月末は6万6604人と減り続けている。0~14歳の年少人口も同様に「右肩下がり」で、未来を担う若い力を必要としている地元産業界にとっては厳しい現実だ。

   だが明るい兆しはある。震災で大ダメージをこうむった鹿折に、次々と水産加工施設が整備され活気が戻ってきた。2012年に設立された気仙沼鹿折加工協同組合には、2社をはじめ地元企業18社が加わった。臼井さんは、「過去に取引がなかった会社ともつながりができました」と喜ぶ。力を合わせて、気仙沼の水産業を盛り立てようというわけだ。

   ミヤカン社長の寺田さんは、これまで気仙沼に寄せられた支援を「ありがたい」と噛みしめつつも、「ずっと頼り続けるわけにはいきません」と口にする。街が完全に復興したわけではない。それでも自力で優れた製品を作り、消費者に届けるためにますます努力しなければと、決意を固めている。

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