2024年 4月 25日 (木)

元横浜銀CFO池田氏が「ゆうちょ銀」のトップになって広がる憶測 最大手地銀の旧大蔵勢力が狙ったモノ

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   体調悪化で入院生活を余儀なくされていた西室泰三氏(80)が3月にトップ(社長)を退いた日本郵政。4月1日付で後を襲ったのは傘下の中核子会社「ゆうちょ銀行」の社長だった元興銀マンの長門正貢氏(67)だった。

   そして、席が空く「ゆうちょ銀行」の社長には元横浜銀行幹部の池田憲人氏(68)が就く、と発表されたことに、元金融庁幹部は「あれ、そんなことになったの?」と驚いた。それほど意外な人物が就任したことについて、さまざまな臆測を呼んでいる。

  • 池田氏がゆうちょ銀行のトップに就任したことで、横浜銀行の旧大蔵勢力は影響力を維持できる?(画像は財務省)
    池田氏がゆうちょ銀行のトップに就任したことで、横浜銀行の旧大蔵勢力は影響力を維持できる?(画像は財務省)
  • 池田氏がゆうちょ銀行のトップに就任したことで、横浜銀行の旧大蔵勢力は影響力を維持できる?(画像は財務省)

歴代トップに大蔵次官がズラリ

   池田憲人氏は神奈川県出身。東北大学を卒業後、1970年に地元に戻って地方銀行トップの横浜銀行に入った。幹部候補生としてエリートコースを歩んで常務まで昇進し、2001年には最高財務責任者(CFO)にも就いた。普通の地銀なら、そのまま頭取に昇進してもおかしくない人材だ。ただ、横浜銀行の頭取と言えば、財務省(旧大蔵省)の有力な天下り先の一つ。それも位人臣を極めた「事務次官」経験者が座ることの多い、超一級の指定席だ。戦後間もない1949年から一貫して財務省(旧大蔵省)の天下り官僚が歴代、居座っている。

   大蔵次官の横浜銀行頭取への天下りの嚆矢は、1975年から10年余り務めた吉國二郎氏(故人)。吉國氏は頭取退任後も会長、相談役、名誉会長として君臨し、横浜銀行の経営に影響を及ぼし続けた。ちなみにプロ野球コミッショナーなどを務めた元内閣法制局長官の吉國一郎氏(故人)は実兄だ。

   吉國氏の後も、大倉真隆氏(故人)、田中敬氏、平沢貞昭氏、小川是氏と大蔵次官経験者が次々と頭取に就いた。ただ、小川氏の後の2011年に頭取に就任したのは寺澤辰麿氏。寺澤氏は次官にはならず、関税局長から理財局長を経て最後は国税庁長官という役人人生だった。1971年大蔵省入省の同期では、次官になった藤井秀人氏のほかに金融庁長官になった高木祥吉氏や、環境省次官に転じた田村義雄氏らがおり、今もって寺澤氏の横浜銀行頭取就任を「意外な人事」との受け止めが根強い。

   そうした中で、横浜銀行は東日本銀行と経営統合し、今年4月に持ち株会社「コンコルディア・フィナンシャルグループ」が誕生、寺澤氏はその初代社長に就任し、傘下の事業子会社となった横浜銀行の頭取には生え抜きの川村健一氏(56)が就いた。持ち株会社トップは旧大蔵官僚が占めたとはいえ、銀行の頭取は生え抜きなのだから、地銀再編をテコにした人事の地殻変動でもあった。

池田氏は足利銀の経営再建で評価

   今回、預金や融資先の獲得で地銀と敵対するゆうちょ銀行の社長に就任した池田氏だが、世が世なら頭取もあり得た横浜銀行を常務で退任後、請われて経営危機に陥った足利銀行の頭取となり、再建へ向けて陣頭指揮を執った。足利銀行を再上場へ導いた手腕は金融界で評価されている。

   このため、池田氏については、横浜銀行のトップ返り咲きもあり得るという声が金融界にはあった。だが、これは日の目を見ず、頭取には別の生え抜きの川村氏が決まった。

   横浜銀行の旧大蔵勢力としては、今なお残る池田氏の横浜銀行トップ待望論を抑えて影響力を維持すべく、池田氏をゆうちょ銀行トップに据えることに成功したのではないか、といううがった見方が出る背景である。

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