反骨で気短の愛妻家 元木昌彦が見続けた大橋巨泉の素顔

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   大橋巨泉さんが2016年7月12日に亡くなった。享年82。5日前に亡くなった親友・永六輔さん(享年83)と同じ昭和一桁世代。二人に共通するのは反骨、反戦、気短、根は優しい愛妻家。

   巨泉さんとの出会いは作家・山口瞳さんの紹介で東京競馬場だった。競馬界への辛口評論家としても頭角を現していた。新妻の寿々子さんが買ってきたほぼ全通りの馬券を服のあちこちに入れて、穴馬が来ると「いや~この馬が気になっていたんだ」と当たり馬券を手品のようにして取り出すのを、横で見ていた。

  • 2001年参院選出馬にあたり、外国特派員協会で記者会見に出席した大橋さん(写真:Haruyoshi Yamaguchi/アフロ)
    2001年参院選出馬にあたり、外国特派員協会で記者会見に出席した大橋さん(写真:Haruyoshi Yamaguchi/アフロ)

銀座、赤坂ハシゴの合間に「11PM」

   ホテルオークラが定宿だった。TBSの番組が終わるのを待って赤坂で飲んで銀座に流れた。途中で「11PM」(日テレ)の司会をやりに行ったことが何度かある。付いていってスタジオで見ていた。かなり飲んでいたと思うが乱れはまったくなかった。

   初めての仕事は週刊現代(以下現代)で連載してもらった「巨泉のゴルフ」。当時の私はゴルフに関心も知識もまったくなかった。記事中の写真はティーショットからバンカーショットまで、すべてフォロースルーの決まった瞬間のものばかり使ってどやされた。「元木、少しは勉強しろよ」。いまなら少し分かる。

   「オレはテレビの人間とは付き合わない」が口癖だった。競馬、麻雀、釣り、ゴルフ、何でも基本を徹底的に勉強してから始める人だった。アメリカンフットボールも英語の解説書を熱心に読み込んでいた。

   1994年、私が現代編集長のときコラム連載を依頼した。二つ返事で引き受けてくれてこういった。「尊敬している山口瞳さんの『男性自身』(週刊新潮)を抜くぐらいの長期連載にしたい」。その時私がつけたタイトルは「内遊外歓」。喜んでくれた(後に「今週の遺言」と改題)。

   この連載を愛読していた菅直人氏からの電話で参院選に出馬し当選したが、半年で辞めてしまった。組織の歯車になれる人ではなかった。

親友永六輔さんの死は知らずに逝く

   巨泉さんの還暦祝いの席だった。「たけし事件」以来、講談社との関係が途絶えていたビートたけしさんに私を紹介してくれた。「二人でうまくやれよ」。和やかに飲みながら、日を改めて会いましょうとなった。だが、その直後、たけしさんはバイク事故を起こしてしまう。

   何度か千葉の自宅に遊びに行ったことがある。庭先がゴルフ場の何番ホールかのティーグラウンド。最後に訪ねたのは数年前になる。がんと闘っていたが思ったより元気で、ワインをたらふく飲み、カラオケで演歌からジャズまで歌い合った。

   ゴルフは生涯の友だった。奥さんはだいぶ後になってから始めた。「この間カミさんにオーバードライブされたよ」と嬉しそうにいっていたのを思い出す。

   趣味を極め、セミリタイヤして年の3分の2を季候のいい海外で暮らし、がんとの闘いを決して諦めることはなかった。

   だが巨泉さんが望んだ山口さんを超えることはできなかった。現代の連載は930回で無念の最終回。最後に気力を振り絞ってこう書いた。「選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい」。

   永さんの死と参議院選の結果は本人には伝えなかったと聞く。

元木昌彦(元週刊現代編集長)

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