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「病気になってから」でなく「病気にならない」医療への大転換

   「病気になってから治すのではなく、病気にならない社会へ」。そんな理念のもと活動する「保健・医療パラダイムシフト推進協議会」という民間団体がある。それはただ健康長寿になればよいという考えではなく、社会生活の豊かさなど人生をトータルで考え、民間主導による保健・医療の転換を図っている。

   協議会は2017年6月26日、東京大学・医科学研究所でシンポジウムを開催。医療界と日本社会の現状を交え、協議会の見据えるビジョンを説明した。

  • 保健・医療パラダイムシフト推進協議会の新井賢一理事長
    保健・医療パラダイムシフト推進協議会の新井賢一理事長
  • 保健・医療パラダイムシフト推進協議会の新井賢一理事長

病気になってからではなく早期に予測・予防できるプラットフォーム

   保健・医療パラダイムシフト推進協議会は、「疾病中心から健康中心へ」「医療機関中心から個人中心へ」「社会工学と健康科学から見た新たな生活環境の在り方へ」を転換の3本柱に掲げる。

   登壇した新井賢一・理事長(東大名誉教授、SBIバイオテック取締役会長)は、医療や保健についてこうした転換を図る必要性の背景に、「急速な少子高齢化」と「多因子疾患の増加」があると話す。

「平均寿命は1840年から見て40歳から80歳に倍化し、老年人口が高まっています。文化的な生活形態もドラマチックに変化してきました。こういう中で病気も、急性疾患から慢性疾患へ、単一の遺伝要因からなる『単因子疾患』から遺伝と環境の要因が複雑に関与する『多因子疾患』へと、大きな転換が起こっています。これら人口構造と疾病構造の変化の中で、いかに健康なライフを保証していくかが私たちの問題意識です」

   新井氏は、増加する多因子疾患には従来の医療だけでは不十分と考え、複雑な要因が絡む多因子疾患に個別に対応できる新たな医療のプラットフォームを作るために活動している。「疾病中心から健康中心へ」「医療機関中心から個人中心へ」と掲げるように、病気になってからではなく早期に予測・予防し、個別の患者に合った適切な治療法を導き出せる仕組みの構築をめざす。

   そこで活用の余地があるのがビッグデータだという。

「発生した疾病に治療法の仮説を立てて検証する『仮説検証型』で対応してきたのがこれまでの方法です。現在は、過去の膨大な臨床データなどの収集・解析による『データ主導型』でのアプローチも可能です。ただし、たとえば『健康診断』は世の中で広く行われていますが、そのデータは活用されていないのが現状です。こうした状況を打破するために、ビッグデータ時代には医師や薬剤師、製薬企業といった医療関係者だけでなく、もっと多面的な人々に参加してもらって議論することが必要です」

   協議会の理念に賛同し、新しい保健・医療を確立しようと挑戦する企業を支援するため、協議会はこのほどベンチャー・キャピタル・ファンドを創設。資金やノウハウの面で強力なバックアップを行っていく。

なぜ医療の話なのに「社会工学」なのか

   「社会工学と健康科学から見た新たな生活環境の在り方へ」に関係した話をしたのは、寺島実郎会長(一般財団法人・日本総合研究所会長、一般社団法人・寺島文庫代表理事)。人口減少と高齢化が避けられない日本では、高齢者が社会の中で「目的」を持って生活していける枠組みが必要だと訴えた。

「2016年の統計で一番気になったのが、『80歳以上が1000万人を超す時代が来た』という事実です。65歳以上人口は27.6%と3割に近づいています。2050年に総人口が1億人を割り、65歳以上は4000万人、80歳以上は2000万人に迫ります。まさに『異次元の高齢化』です。
 これまでは、良い大学を出て就職し、60歳の定年になったら大概は悠々自適な第二の人生でした。ところが第二の人生がどんどん長くなっており、定年から30年後、90歳くらいまで生きても何らおかしくなくなります。その前提で社会システムを構築し、人生をプログラムしないといけません」

   定年後の計画がないとどうなるか。寺島氏は次のような「シルバーデモクラシーのパラドックス」が生じかねないと指摘する。上記のように人口の4割が65歳以上になると、有権者(18歳以上)に占める65歳以上の割合は5割を超え、実質的に高齢者が社会的な意思決定をしていくようになる。すると、時には経済・社会の中心をなして未来を担う若年~中年層の意思とは相反する判断を招きかねず、「高齢者が『爆走老人』として新たな問題を投げかけるかもしれません。社会の安定装置になるとは限らないのです」と指摘した。

   現在の高齢者層が働き盛りだった当時の職住の形態にも現在まで根を下ろす社会問題の原因があるとする。都心の周辺にできたベッドタウンに移住し、身を粉にして働いてきた「モーレツ社員」ほど、今後の高齢社会に課題を投げかける可能性があるという。

「田舎と都会の高齢化はまるで違います。田舎の高齢化は近くに一次産業があり、多くの家族が複数世帯で住んでいる、つまり高齢者が社会に入り込んでいけます。一方、都会の高齢化は、住居がベッドタウンとして寝るために帰っていただけだから取り付く島もない。やることがないのです。80歳でも健康を維持するのは非常に大事なことですが、同時に社会に参画できるプラットフォームを構築しながら高齢化していくことの重要性を痛感しています」

保健・医療の根幹にあるのはヒューマニティー

   桜田一洋理事(ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー、理学博士)は、ただ健康なだけではなく「豊かな人生」に寄与する未来のヘルスケアサービスについて展望を述べる。

   たとえばウェアラブルセンサーのようなデバイスを使った現行のサービスには「ノーマルな状態に向かうよう、競争心をあおる形で生活習慣をつくっていくものが多いです」とし、その問題点について「合理性、効率、競争、そういうものに当てはめた最後に、社会に溶け込めない『不機嫌な高齢者』をつくってしまったのでは意味がありません。1人1人の特性と状況にあった生活習慣をつくっていけるようにする必要があります」と指摘する。

「保健・医療の根幹にはヒューマニティー、人の多様性、人を大事にする気持ちがデザインされていないといけません。今までの医療の『エビデンス・ベース・メディスン』と呼ばれてきたやり方は、統計学的な『平均』が特徴でした。でも平均だから効かない人がたくさんいます。そこで、これにかわる『個別化』の推論技術をつくらないといけません。19世紀の医学博士・高木兼寛は『病気を診ずして病人を見よ』と言っています。個から入るのは医療の本質なのです」