ミニッツ・シンキング

美術はこんなに面白い

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生涯学習センター講師 伊藤 淳

これぞルネサンス!

さて、いよいよルネサンスの話に入ります。
ルネサンスの始まりは、15世紀。イタリアのフィレンツェで、多くの芸術家が誕生しました。 ルネサンスの象徴は、街の中央に悠然とそびえ立つサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂です。巨大なクーポラ(円蓋)は1436年、ブルネッレスキによって完成、絶賛されました。

1377~1446年。当初、彫刻家としてフィレンツェを中心に活動するが、
彫刻家ギベルティと競合した後、建築家に転身。
他の作品に孤児養育院、サン・ロレンツォ聖堂、サント・スピリト聖堂など。
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ルネサンスへの道①フィレンツェ経済、大躍進

12世紀にイスラム世界に技術を学び、羊毛工業を始めたフィレンツェは、13世紀になると羊毛製品の輸出や絹織物で経済的に大躍進し、人口も急増します。 ヨーロッパに広まったフィオリーノ金貨(1252~1523年にフィレンツェで鋳造)は、こうした経済力の反映でもありました。表にフィレンツェを象徴する白百合、裏にはフィレンツェの守護聖者・洗礼者ヨハネが刻印されています。この経済力が、芸術活動に大きく寄与するのです。

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ルネサンスへの道②最初は彫刻から

ルネサンスは、まず彫刻の分野からめばえました。
フィレンツェ大聖堂の目の前に、サン・ジョヴァンニ洗礼堂があります。この洗礼堂は毛織物取引組合のひとつ、カリマラ組合の資金提供で運営されていました。1401年、洗礼堂第二門扉の制作発注にあたり、コンクールが行われます。課題は旧約聖書の『イサクの犠牲 』…芸術家7名が応募し、最終選考にはブルネッレスキギベルティが残りました。さて、ここで問題です。

最後に選ばれたのはどちら?

1.力強さが特徴の、ブルネッレスキ(写真上、25.5kg)
2.繊細な表現の、ギベルティ(写真下、18.5kg)
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正解は2.繊細な表現の、ギベルティです。
ギベルティが選ばれました。 両者優勝で共同受注となるところ、それを嫌ったブルネッレスキが辞退した、とも言われますが、実際は、使ったブロンズ量がはるかに少ないギベルティに軍配があがったようです。

正解
不正解
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ルネサンスへの道③パトロンが果たした役割


ポントルモ
コジモ・デ・メディチ
(1520年ごろ)

ロレンツォ・デ・メディチ
のデスマスク 』
(1492年)

ブロンヅィーノ
『 甲冑のコジモ1世
(1545年)

芸術家を支援したパトロン。ミラノのスフォルツァ家、ウルビーノのモンテフェルトロ公、マントヴァのゴンザーガ家、ローマ教皇、そしてフィレンツェのメディチ家は特に有名です。 3人の名前にポインターを合わせてみましょう。

1389 - 1464年 父の築いた銀行業を発展させ、
メディチ家のフィレンツェ支配を確立。
死後ロ-マ皇帝にならい「祖国の父」の称号を贈られた。
学芸サークル、プラトン・アカデミーの基礎を作る。
1449 - 1492年 フィレンツェのルネサンス期における、メディチ家最盛時の当主。学問や芸術のパトロンとして知られ、彼のもとでルネサンス文化は最盛期を迎える。主要な美術家をローマ、ヴェネツィア、ナポリ、ミラノに積極的に派遣したことで、ルネサンス美術はイタリア中に広まった。
1519- 1574年 彼の時代に、フィレンツェでのルネサンス文化が再び花開いたといわれる。 最大の功績は、首都フィレンツェの都市改造事業で、「天井の無い美術館」といわれる今日の景観を作り上げた。
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