私はヴェロッキオ、フィレンツェに工房がある。
弟子を見る目には自信があるし、才能を育てるのも嫌いじゃないから、ここにはギルランダイオやペルジーノといった有望な若者が集まってくる。しかし、レオナルドには参った。父親に連れられて来たときは、絵の上手なかわいい子という印象だったが、数年経ってサン・サルヴィ修道院から注文された『キリストの洗礼』を手伝わせたら…
鎌倉女子大学 生涯学習センター講師 ●伊藤 淳
私はヴェロッキオ、フィレンツェに工房がある。
弟子を見る目には自信があるし、才能を育てるのも嫌いじゃないから、ここにはギルランダイオやペルジーノといった有望な若者が集まってくる。しかし、レオナルドには参った。父親に連れられて来たときは、絵の上手なかわいい子という印象だったが、数年経ってサン・サルヴィ修道院から注文された『キリストの洗礼』を手伝わせたら…
明らかに出来が違うじゃないか。レオナルドに描かせたのは背景と、2人いる天使の左側。そうしたら、あいつの天使の顔が滑らかで美しいのだ。微妙な色の変化と立体感。いつの間にか編み出した新しい技法が抜きん出ている!
…実は、もう一人の天使を描いたのは自分だ。それ以来、絵はあいつに任せたよ。自分は彫刻に専念することにしてね。
西洋絵画の画材を時代で追うと、水彩→テンペラ→油彩という流れが見えます。テンペラは、描いている間は水彩のように画面に染み込むのでぼかしが利かず、画家たちは斜線で丁寧に画面を埋めていくことで立体感を出しました。これがハッチング技法です。
しかしレオナルドは油を用い、指などで画面上の色を混ぜ合わせ、顔の陰影をデリケートなグラデーションで描きました。これがスフマート技法です。
ミケランジェロは60歳を過ぎて、先代教皇クレメンス7世が依頼していた礼拝堂正面壁画に取り組みます。『最後の審判』は、上部中央のイエスを中心に向かって左は天国へ昇る人たち、右には地獄へ落ちる人たちをドラマチックに展開しています。しかし当時、古代ギリシャ彫刻のような裸体表現が教会内で問題となり、後に弟子の手により下半身などに布が加筆されました。
この天井画は正面壁画『最後の審判』より四半世紀ほど前、ミケランジェロ30代の作品です。これを命じた教皇ユリウス2世の計画は、空を背景に十二使徒を描くというものでしたが、のちにこの計画は変更され、「創世記」( 『旧約聖書』の最初の書)の9つのエピソードを主題とした、はるかに複雑な構成になりました。描かれている人物像は、300体を超えます。
天井画の中央付近にある『アダムの創造』は、旧約聖書『創世記』で、神が最初の人類アダムに生命を吹き込む場面だと言われます。神の右手とアダムの左手が伸ばされ、指先は触れ合う寸前…このシーンは世界中の人々にインスピレーションを与え、これまで多く転用されてきました。例えばスピルバーグの映画では、人間と地球外生命体の指が触れ合い、相互理解を表しています。
私はペルジーノ、得意のマーケティングで工房を経営している。評判の良い作品を分析し、顧客ニーズを把握して「売れる絵」を大量生産…これでわが工房の受注数は、現在国内第1位だ。
若く才能豊かなラファエロは、助手として私の技法を海綿のように吸収した。顔料の塗り方、衣服の陰影、優雅で上品な作風をそっくり自分のものにしてしまう。例えば私がこの絵を描くと…
ラファエロは同じテーマと構図でこの絵を描いた。
私の作品より空間が完璧に把握され、奥行きを感じるはずだ。向こうにある神殿が複雑な16角形になっていることに、気付いただろうか。
彼は私のもとで最先端のフィレンツェ美術を学び、吸収し、そして私を凌駕した。そんな彼とは、互いに刺激し合えると思ったが、私より先にこの世を去るとは、何とも残念なことだ。
『マリアの結婚』は、ラファエロがペルジーノのもとでの徒弟制度を終えて2~3年後に描いた、たいへん洗練された祭壇画です。
一点透視図法の消失点は、この神殿入口のすぐ上。そこには「RAPHEL VRBINAS MDIIII」(ウルビーノのラファエロ 1504年)と記されています。
若きラファエロの自信に満ちた署名。絵をクリックして、拡大して捜してみましょう。
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