2024年 4月 25日 (木)

ヤクルトスワローズけが人続出の怪 その歴史は30年前に始まっていた

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   9月に入り、プロ野球のペナントレースは大詰めを迎えている。セ・リーグでは広島東洋カープが連覇に向けてラストスパートに入った一方、東京ヤクルトスワローズが「借金43」(2017年9月6日現在)と断トツの最下位に低迷している。

   原因のひとつに挙げられるのが、主力選手の相次ぐけがによる離脱だ。

  • 来シーズンこそ…
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荒木大輔は1988年から4年間離脱

   ヤクルトにとって2017年シーズンは、苦難の道のりだ。柱となる投手や打者が、相次いで戦列を離れた。現時点でも登録が抹消されている主力選手は、館山昌平投手、畠山和洋選手、雄平選手らで、一時は小川泰弘投手やウラジミール・バレンティン選手という投打の要や、「守護神」秋吉亮投手までが外れた。今季の新戦力として獲得したオーレンドルフ投手に至っては、4試合に登板しただけで4月24日に登録抹消となると、右肩痛の検査のため帰米したまま再来日のめどが立っていない。

   けがで長期離脱を余儀なくされる選手も目立つ。館山投手は2008年~12年まで連続2ケタ勝利を挙げていたが、2013年以降は右ひじのけがとの戦いで手術を繰り返し、2015年に復帰するもフル回転とまではいかない。由規投手は右肩痛が長引き、実に5年近くも1軍での勝利から遠ざかった。

   過去にも、こうしたケースがあるのがヤクルトだ。高校野球で大フィーバーを起こした荒木大輔投手は、1983年に入団すると85年から先発投手に定着。ところが88年に右ひじを痛め、以後は手術とリハビリに4年間を費やした。強烈なスライダーが武器だった伊藤智仁投手は、新人だった1993年に大活躍するも、翌年から2年間はけがの治療のため1軍登板できなかった。川崎憲次郎投手の場合、入団4年目の1992年に故障で1年間登板なし。その後98年には最多勝のタイトルを獲得するなど活躍するが、2000年のオフにフリーエージェントで中日ドラゴンズに移籍すると、右肩痛でその後3年間は1軍でプレーできなかった。4年目にようやく3試合に登板、0勝1敗の成績を最後に現役引退となった。

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