2024年 4月 16日 (火)

チリ鉱山に「お酒」の差し入れが禁じられた理由

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   前回に引き続き、宇宙飛行士のストレス対策について紹介します。チリの作業員たちが閉じ込められていたのは、約70日間。これに対して、国際宇宙ステーション(ISS)に滞在する宇宙飛行士たちは、ミッションをこなして地球に帰ってくるまでに、宇宙空間で90日から180日間を過ごします。

   もちろん、チリの作業員たちが滞在していた高温で高湿度という生活環境は、宇宙より過酷ではあります。しかし現在検討されている火星ミッションでは、片道半年とも1年とも言われており、とても楽な仕事とはいえません。現在ロシアでは、これを模擬する500日の閉鎖実験が進行中です。

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実験中に殴りあいのケンカ発生

お酒はあくまで「引き金」だが
お酒はあくまで「引き金」だが

   日本の宇宙開発事業団(現・宇宙航空研究開発機構)も1999年から2000年にかけて、モスクワで行われた実験に参加したことがありました。初のISS長期滞在に向けて、宇宙飛行士の精神心理的ストレスについて検討し、知見を蓄積するためです。

   ここでは最大240日という、それまでになかった長期間にわたる閉鎖環境滞在の実験を行い、日本からも110日間滞在するグループに1名の被験者を送り込みました。

   ところがこの実験中、大変な問題が起こりました。滞在中の被験者の間で、殴り合いのケンカが発生し、被験者が退出してしまうという騒ぎになったのです。これにより、いくつかの研究がデータ不足により成果が出せなくなってしまいました。

   時刻は大晦日から新年にかけての深夜のこと。ミレニアムの年越しのお祝いに、シャンパンが届けられた席でのことでした。

   ストレスが溜まり、かつ解消する手段が限られている環境では、お酒はストレスを減らすよりも、感情のコントロールを不安定にし、行動の抑制を利かなくする効果が高いようです。ちなみにISSでは、禁酒・禁煙になっています。

   チリ鉱山でトンネルが開通した時、作業員たちは真っ先にタバコと酒を要求しました。私はそのとき、「絶対お酒を入れませんように!」と遠い日本から祈っていたものでした。結局、タバコは届けられたものの、お酒は却下されたそうです。きっと実験の教訓を知っているNASAの担当者が、適切に進言してくれたのでしょう。

お互いの「人となり」を知ることは重要

   この「事件」の後、参加各国の研究者は、被験者や運用要員へのインタビューを実施し、問題が起きた原因を究明しました。その結果、実験のミッションに大いに役立つ教訓が得られました。主なものは、次の4つです。

(1)事前訓練の重要性。特にネガティブな事象を予測し、対処法を検討しておくこと
(2)一緒に滞在する被験者間で「人となり」を知っておくこと(familiarization)
(3)閉鎖環境内部への情報提供。問題の対処法を案内し、状況経過を報告すること
(4)閉鎖滞在初期、開放直後および問題発生後は集中的/継続的な観察・ケアを行うこと

   チリの場合、(1)と(2)は経験豊富なリーダーがいたことや、それまで同じ釜の飯を食ってきた仲間が閉じ込められていたことがプラスに働いたものと考えられます。(3)についてはNASAがアドバイスを行ったと確信しています。今後は、(4)のサポートが適切に行えるかが注目されます。

   これらのポイントは、厳しいプロジェクトに関わって働くビジネスパーソンにも当てはまるところがあるかもしれません。特に最近は、同じ職場にいても人間的な交流をあえて取らず、お互いが「人となり」を知らない状況が増えているようです。

   これでは生産性の低い「ギスギスした職場」になってしまっても仕方がないでしょう。人間同士が一緒に働く以上、「familiarization」は避けられない要素だと思います。

   かといって、ストレスの高い職場では、懇親のための「飲みニケーション」が、殴り合いの事件に発展してしまうおそれもあるので、慎重にすべきかもしれません。

   次回は、宇宙飛行士に対する具体的な支援内容と、チリの落盤事故でそれがどう応用されたかを紹介いたします。


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今回の筆者:井上 夏彦(いのうえ・なつひこ) 独立行政法人宇宙航空研究開発機構・有人宇宙技術部・主任開発員。宇宙飛行士の健康管理のうち、精神心理支援を担当。若田光一飛行士と、野口聡一飛行士の国際宇宙ステーション長期滞在を支援した。筑波大大学院で博士号(医学)を取得。

筑波大学大学院・松崎一葉研究室
高度知的産業に従事する労働者のメンタルヘルスに関する研究を行い、その成果を広く社会還元することを目指している。正式名称は筑波大学大学院人間総合科学研究科 産業精神医学・宇宙医学グループ。グループ長は松崎一葉教授(写真)。患者さんを治療する臨床医学的な視点だけではなく、未然に予防する方策を社会に提案し続けている。特種な過酷条件下で働く宇宙飛行士の精神心理面での支援も行っている。松崎教授の近著に『会社で心を病むということ』(東洋経済新報社)、『もし部下がうつになったら』(ディスカバー携書)。
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