ひとりの「スポーツ選手」として自らの限界に挑む

2008/9/ 8      このエントリーを含むはてなブックマーク はてなRSSに追加 この記事をBuzzurlにブックマークする この記事をクリップ!   Yahoo!ブックマークに登録   newsing it!    
練習に励む走り幅跳びの佐藤真海選手

オリンピックと同じ「One World One Dream」を掲げ、北京パラリンピックが9月5日から17日まで開催される。日本からは162人の選手団が参加し、競技の様子はNHKで放送される。写真は練習に励む走り幅跳びの佐藤真海選手(写真提供:株式会社ライツ)。

 北京パラリンピック走り幅跳び代表の佐藤真海(さとう・まみ)さんは、19歳のとき小児がんの一種である骨肉腫を発症した。抗がん剤治療で頭髪が抜け、右足の膝下の切断を余儀なくされた。それまで早大応援部チアリーダーズで活躍していた佐藤さんが絶望から抜け出せたのは、スポーツのおかげだった。

「夢の実現」への挑戦を応援するサントリー

サントリーで仕事と競技を両立させる佐藤さん
サントリーで仕事と競技を両立させる佐藤さん

 ある日、意を決して訪れたプールで、自分の力で泳ぐことができることに気づく。生きる意味も感じられなかった毎日が、そこから大きく変わった。次に挑戦したのは、走り幅跳び。アテネパラリンピックの選考会で、思いがけず参加標準記録をクリアし出場が決まった。大学を卒業して、ちょうどサントリーに入社したばかりのころだった。
 「といっても当社には陸上部はなく、彼女は一般の新卒者として採用したのです」と、上司である坪松博之部長は語る。いまではさまざまな形でサポートする会社も、当初は前例もなく手探りで、佐藤さんも競技と仕事の両立に悩んだ時期があったという。
 しかし上司や会社と相談を重ねた結果、新たな勤務形態で働くことを許され、活動費用の一部支援も実現した。もともとサントリーには創業者の「やってみなはれ」というチャレンジ重視の精神や、「利益三分主義」(利益の3分の1はお客さまへ、もう3分の1は社会に還元すべし)という考え方があり、就職先を選んだ動機のひとつにもなっていた。そういう社風が佐藤さんの努力と実績を認めて活躍を支え、今ではその活躍に社員も励まされている。「彼女は障害者というより、一人の社員であり、一人のトップアスリートです。挑戦を続けたいという強い夢がある限り、会社もできる範囲で応援したいと考えています」(坪松部長)。
 現在、CSR・コミュニケーション本部キッズプログラム推進室で、未来を担う子どもたちの「夢」や「挑戦する気持ち」を応援する「キッズ・ドリームプロジェクト」の企画・運営、進行管理などに携わっている。そして、2008年3月の最終選考会で日本記録を更新(4m46)、見事2度目のパラリンピック出場を果たした。

健常者の“一歩先を行く先輩”として応援してほしい

北京パラリンピックで四連覇を目指す河合さん
北京パラリンピックで四連覇を目指す河合さん

 佐藤さんが「頼れる兄貴」と慕うのが、水泳50m自由形(視覚障害1)などに出場する河合純一さんだ。バルセロナ、アトランタ、シドニー、アテネのパラリンピック全盲部門に出場、通算5個の金メダルを獲得し、北京での4連覇を目指すスーパーアスリート。スポーツの醍醐味を「自分の限界に挑戦すること」と表現する。だからこそスポーツは誰にとっても楽しく、リフレッシュや社会参加につながり、見る人をも惹きつけるのだと。
 しかし現実には、障害者のスポーツには様々な障壁がある。施設の使い勝手などのハード面だけでなく、利用プログラムなどのソフト面、交通アクセスの悪さや道路の段差など、不便さはスポーツ環境には限らない。最近の調査によれば、パラリンピックの選手は練習や遠征などに、平均で年間百万円以上の自己負担をしているという。「オリンピック選手とは、国の支援もスポンサーの数も、まったく規模が違うんですよ。同じアスリートなのに」(河合さん)。
 お話を聞くうちに、河合さんが全盲であるという意識が薄れ、私たちの社会が障害者を知らずに排除していることが不自然に感じられてきた。「いちど話をしてみれば、同じ人間として分かることなんですけどね」とは、妻の絵里子さん。河合さんも「人間は誰でも老いるし、いつケガや病気で身体の自由が利かなくなるか分からない。だから私たち障害者を“一歩先を行く先輩”として応援してもいいじゃないですか」と、ユーモアを交え問題を指摘する。
 パラリンピック選手の多くは、自らの競技を障害者スポーツという「福祉」の一分野ではなく、普通の「スポーツ」と捉え、自らを「アスリート」として認めてもらいたいと考えている。彼らが不便を感じない社会は、誰もが生活しやすい社会になるだろう。経済効率は無視できないが、すべてをそれだけで済ますことは、私たちが望む社会の姿ではない。パラリンピックがオリンピックと同時開催される日も期待される。北京パラリンピックでは、メダルの数だけでなく、アスリートたちが自らの限界に挑戦する姿に注目したい。

佐藤真海
1982年生まれ、宮城県出身。2003年のジャパンパラリンピック水泳競技大会で優勝し、翌年には走り幅跳びでアテネパラリンピックに出場。2008年に日本記録を更新して北京パラリンピック代表に。現在はサントリー株式会社のキッズプログラム推進室に所属しながら競技を続けている。2008年8月『夢を跳ぶ―パラリンピック・アスリートの挑戦』(岩波ジュニア新書)を上梓。ウェブサイト「mami's Diary

河合純一
1975年生まれ、静岡県出身。先天的に左目の視力がなく、15歳で右目の視力も失う。5歳から水泳を続け、バルセロナから北京までのパラリンピック全盲部門に5大会連続で出場。1998年には全盲で日本初の普通中学校の教師になり、その半生を著した『夢追いかけて』は2003年に映画化された。現在は静岡県総合教育センターの指導主事として後進の育成にあたる。ウェブサイト「Keeping alive the dreams

カテゴリ内の最新記事

モノウォッチでは環境・CSRウォッチ掲載期間中、環境・CSR関連の記事を強化しています。
モノウォッチTOPへ
モノウォッチアクセスランキングは以下