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決まり文句の人生応援歌いらない 心に潜む痛み、嘆き歌う美人歌手

   伊吹留香というシンガー・ソングライターがいる。最近、関東圏の小さなライヴハウスで見かけるようになった女性だ。

   彼女の経歴はというと、2003年2月にシングル「序の口」でCDデビュー。2004年12月には詩集『生存未遂』を刊行、詩人としても一歩を踏み出した。2005年8月、2ndシングル「二の舞」をリリース。2006年5月には、webサイトで公開していた回顧録、散文詩をまとめた書籍『時は世紀末、僕は未成年』を上梓し、6月には1stアルバム『課外授業』をリリースした。

   2007年5月には、04年刊行の詩集『生存未遂』に新作の詩、発言集などを加え、改めて書籍として刊行したのが『生存未遂1987-2007』。2008年、ライヴ会場限定販売でラフ音源集をCD化し販売して以降、ライヴ音源のCD化作業を2009年、2010年と継続し、今日に至る。

「永久的思春期の芸術的失敗例を歌い続ける」


   これだけの表現を作品化しているのだから、きっと大勢のファンがいるのだろうと、普通なら思う。だが伊吹留香は、テレビに出るわけでもないから、世間一般的な言い方で言うところの「有名」ではない。

   なにせ、僕の手元にもCDはない。彼女に言わせると、「図書館にあるかもしれない」。だが、おそらくどんな有名アーティストも描くことのできない、生きることに痛みを伴うような、早熟な少女の深い心の奥底にいつの間にか誘われ、抗うことのできない唯一無二の作品群を、伊吹留香は生み落し続けている。

   そういう意味では、間違いなく彼女はスターだ。

「7歳の頃から作詩や作曲を始めた、表現者の端くれ。主に、永久的思春期の芸術的失敗例を歌い続けている」

   こう彼女は自分自身を表現する。思春期には「不登校」「リストカット、OD(Overdose) などの自傷行為」「摂食障害」「引きこもり」……。今どきの、およそ生きることに付き纏う「負」のイメージのほとんどを自分の中に取り込んでいたようだ。

自信満々で押し通すほど、孤独に落ち込んだ

   なにが彼女をそうさせたのか? 僕が一番気になっていたことでもある。

   おそらく自分自身を微にいり細を穿って分析したとしても、彼女自身にも分からなかったことなのだろう。もろもろのすべてが、ことに初期の作品には、「苛立ち」のように色濃く反映されている。だが、それとても、言葉として見事に昇華し作品化されているのがすごい。歌詞には、痛みを伴いながらも、生に寄り添うような言葉の数々が並んでいたのだが、「2005年頃、変化した」と彼女は言う。

「10代の頃の自分は、ありのままの自分を許したい、正当化したいと思っていたと思う。傍からみれば自信満々で、結果的には反抗してるように見えたに違いないですね。でもそれを押し通そうとすると、周りはついてこない。むしろ弊害が生まれてきて、精神的な孤独に落ち込んで……結局、独りじゃ何もできないと気づかされてしまった。支えられて生きてたんだなあ、支えられなければ生きていけないんだなあと、心底思ったのが、2005年」

   そこから、作品の質も目に見えるほどに変わった。自分以外のところにある人間関係への憧れにも似たアプローチが生まれたような感じなのだ。つまりは、一人称の独りよがりから、二人称、三人称の社会性に目覚めたとでも言えるか。だからといって、つまらぬ社会性への迎合ではない。

「人生と音楽は一緒のものなんです」

   その証拠に、歌と自分の人生との距離も関わり方も変わってはいない。

「私にとって、人生と音楽は一緒のものなんです。生き様とか性格とか、まんま全部歌声にも曲にも出てしまっている」

   それはまったくその通りだ。取材した日のライヴでも、彼女は感情を抑え切れなかったのか、歌を泣いた。泣くために歌うという人は多い。だが、歌を泣く人は少ない。その時のことを、彼女はツイッターでこうつぶやいていた。

「昨夜も、お会いできた皆様に感謝。最後の曲『ネグレクト』では、久々に感情が大暴走。いやはや、どうにか歌いきれて良かった。今、一番 伝えたい思いが、あの曲の中にある」

   「ネグレクト」は、愛を歌っている。こんな風に。

「~
   君の、君なりの愛は
   そこに確かにあったのに
   今や吹き返しそうにない
   二度と、その息は二度と

   だけど、その様を前に
   言いたい
   言わずにいられない

   君の、君なりの愛よ
   生まれてくれて ありがとう」

魂の奥深いところの痛みや嘆きを歌える才能

   「君」という言葉は、伊吹の歌には滅多に登場しない言葉。それがこの歌には、何度も出てくる。伊吹はこの実在の「君」に涙したにちがいない。

   だが、彼女にとってこんな話題は本位ではないだろう、最近のライヴで歌われる曲のタイトルをいくつか紹介したい。「トラジコメディー」「サジ投げ日和」「惚れ込め詐欺 2011」「欠乏不足」……ある種の言葉遊びがそこにある。実はここにこそ、伊吹留香というシンガー・ソングライターの真骨頂があるように思う。

   たしかに、「言葉遊び」ではあるが、どの曲でも実は遊びどころではない。この娑婆世界での真剣な彼女の在り様が歌われていて、その重さを、この「言葉遊び」はいくばくか、軽やかにしてくれているのだ。その作用を、彼女は決してギミックとしてではなく、ある意味、「本能」として知っている。

   今回、「伊吹留香」を取り上げているのは、誰も彼もが決まり文句の応援歌を歌っているようなこんな時代に、そんなことは考えもせず、魂の奥深いところの痛みや嘆きや、人生への揶揄を言葉にして歌ってしまう伊吹を、是非聴いて欲しいと心底思ったからなのだ。

※※※

   7月10日(日)、「生を授かりし日に」と題したライヴがある。それもバンドで。サポートメンバーはGuitar:齋藤 亮、Bass:出井 孝幸、Drums:清川 渉。

   代官山の「晴れたら空に豆まいて」(TEL:03-5456-8880 住所:渋谷区代官山町20-20 モンシェリー代官山B2)というライヴハウスで行われる。入場料は、前売3,000、当日3,500(飲物別)。夕方6時半会場、7時開演。みんな、遅れずに集合な!

   タイトル通り、この日が伊吹留香の誕生日。繊細で、それでいて実にブルージーな彼女の歌声は一聴の価値あり。ご覧の通りに、美人でもある。前田敦子も良いだろうが、こんな魔性とでもいえそうな、まったく別の魅力をもったアーティストもいるのだと、知って欲しい。彼女の歌もまた、痺れるような歌なのだ。

   それなのに、今回は、紹介するCDがない。どうか、ライヴに足を運んで欲しい。

加藤 普

1949年島根県生まれ。早稲田大学中退。フリーランスのライター・編集者として多くの出版物の創刊・制作に関わる。70~80年代の代表的音楽誌・ロッキンFの創刊メンバー&副編、編集長代行。現在、新星堂フリーペーパー・DROPSのチーフ・ライター&エディター。