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胸を打つ「よっくん」の詩の数々 難病と闘った少年の「あしあと」

   原発性免疫不全や自己免疫疾患、再発性多発性軟骨炎などいくつもの難病を抱え、幼いころから闘病生活を余儀なくされた少年が、それでも懸命に生きた証を自作の詩という形で残し、書籍化された。東方出版から刊行された「いつかぼくもビーズになる! よっくんのポエム」(価格1000円、税別)だ。

   タイトルに用いられた「ビーズ」は、少年が詩の中で「自分を守ってくれる人たち」の象徴として表現したものだ。

母親、医師、看護師への感謝の言葉が頻繁に登場

「よっくん」のストレートな気持ちが伝わってくる
「よっくん」のストレートな気持ちが伝わってくる

   同書は、東大阪市の米野嘉朗君が入院生活の中で書き溜めた詩を母の綾子さんがまとめ、出版したもの。病室の窓から外を見てうらやましく感じた気持ち、容体が好転せずイライラした感情、さらには母への思いやりや「病気に勝つ」という強い決意など、その時々の心境を正直に詩にしている。

   何度もでてくる言葉は「ありがとう」だ。詩のタイトルにもなっている。なかなか体調はよくならないが、周囲の気持ちにこたえてこう表現している。

「人間はひとりでは生きられへん
がんばれんのはみんなのおかげ
いっぱいいっぱいありがとう」(「ありがとう」より一部抜粋)

   幼いながらも、母親をはじめ医師や看護師らへの感謝が頻繁に登場し、胸を打つ。

   母・綾子さんは同書で、嘉朗君との日々を振り返っている。学校に行きたい、友達と一緒に過ごしたいという気持ちが強く、「病院をサボる計画を立てた」ほど。綾子さんは学校側に「怒るときはしっかりと怒って甘えさせないでください」と頼み、体のケア以外の部分では健常な同級生と同じような扱いを望んだ。明るく、クラスの人気者だった嘉朗君はしかし、病状の悪化により故郷の大阪から東京への転院を余儀なくされる。治療のかいなく、12歳でその生涯を閉じた。苦しい闘病生活だったはずだが、残された詩からは感謝や夢、仲間といった前向きな表現がいくつも見られる。

   今回の書籍化について綾子さんはモノウォッチ編集部に、「私もみなさんに幸せの種をまくことができるように、一生懸命生きていきたい」とのコメントを寄せた。

嘉朗君の作品をまねてボランティアがビーズづくり

詩が添えられたカラフルなビーズの中は鈴が
詩が添えられたカラフルなビーズの中は鈴が

   「いつかぼくもビーズになる! よっくんのポエム」の書籍化にあたっては、ユニークな試みも生まれた。嘉朗君は生前、難病と闘う子どもたちの支援団体「メイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパン」に加入していた。国際的なボランティア団体で、子どもたちの願いごとを聞き、それをかなえるために予算を組み、多くの人の協力を得て実現する。

   同団体に話を聞くと、嘉朗君は闘病生活のなかで詩を書くと同時に、ビーズづくりにも励んでいたそうだ。「ビーズとすず」と題された詩に、その様子が書かれている。いろいろな色のビーズをつなぎ、中心に鈴を入れたオリジナルだ。

「すずはぼく
まわりのビーズは
家族、友達…
先生、かんごふさん…
いつもぼくを守ってくれている
いつかぼくもビーズになる!」(一部抜粋)

   ビーズに嘉朗君が込めた思いだ。そこで「メイク・ア・ウィッシュ」では、ボランティアが集まって嘉朗君の作品をまねて手作りで製品化し、嘉朗君の詩を添えて販売することにした。売上金は、子どもたちの願いをかなえるための資金として使われる。

   同団体事務局の鈴木朋子さんは、「詩を読んで、闘病でつらいにもかかわらず常に周囲に感謝の気持ちを持っていることが、ストレートに伝わってきました」と話す。詩とビーズ、嘉朗君が残したふたつの証が、多くの人の心に届いてほしいと願っている。