<テレビウォッチ>「特捜エキスプレス」のコーナーも今日(3月27日)は佐々木恭子。タイトルも「とくダネ!10年 取材者・佐々木恭子」だ。
佐々木の仕事の転機となったインドネシア・バンダアチェの津波跡の取材から、HIVをテーマにユニセフの取材で2006-08年に訪れたマラウイ、パプアニューギニア、ガイアナの映像。
小倉智昭は、「いい仕事をしてくれたな、でもボクには絶対にできないなと思った。恭子ちゃんだからできた」
佐々木は「大変だったでしょう、といわれるんですが、こちらが受け取るものがあまりにも大きいので、それで続けられたんです」
ナビゲーターの笠井信輔は、「佐々木さんの10年間のどこにスポットを当てるかが大変だった」というが、どうやら正解だったようだ。
あらためてみると、たしかに報道番組の切り口と明らかに違う。とくにHIVの取材では、死がなんと身近なことか。目の前で赤ちゃんが死ぬのをみた。小さな棺桶に声をあげる佐々木。
パプアでは、「みんな人間扱いしてくれない」という感染した少年が、出発前にもう一度会いにいったとき、「神様に祈った。あの日本の女性がもう一度戻ってくるのを待ってた」と喜んでウクレレを弾いてくれた。
佐々木の取材メモも写った。達筆で、エイズと貧困、貧困と差別の重い現実がぎっしりと記されていた。ガイアナでは、売春宿を取材。
そのガイアナの少年、ケロンからは最近手紙が来た。「ボクは元気だ。お姉さんに赤ちゃんがうまれると知って、幸せな気持ちになった」とあった。「名前がやっと書けるようになったところだったのに」
小倉は、「正直、ガイアナへ行くといったときは驚いた。大丈夫かなと。そしたら売春宿に泊まったというんで、強い女の人だなと」
諸星裕が、「パプアの現地を知ってるけど、ひどいところですよ。それが生還してきた」
佐々木は「もちろん、スタッフのおかげなんですけど、怖いというより、こんなところがあるんだと。伝えないといけないと」
小倉が、「ガイアナの金鉱では、現地の男たちがスタッフに、『あの日本の女いくらだ』と聞いたんだって」(笑い)
佐々木は「あの人たちにもう一度会いたい」
笠井が「そうした話は、先に出た本『それでも笑顔で生きていく』に出ています」
そしてお天気で、はじめて呼んだ。「天達」
そして、エンディングで3人がまた並んで立った。佐々木は「みなさんが支えてくださったおかげです」
小倉が、「ポール・アンカがきたときにもこんなにいなかった」というほどの人がスタジオに集まって、佐々木は花束に埋まった。
…はよかったのだが、その前の「血液型選手権」では、「恭子ちゃんを勝たせたい」という小倉の思いをよそに、佐々木のO型はビリだった。