2024年 4月 20日 (土)

<ニッポンの、みせものやさん>
見世物小屋はなぜ消えていったか…タブーを外連なく描いたドキュメンタリー

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   室町時代に始まり、江戸時代に大衆文化として発達し、昭和では庶民の娯楽であった「見世物小屋」の一座は、平成に入って4軒に減少し、現在は1軒が営業をしているだけになった。奥谷洋一郎監督は学生時代にアルバイトを通じて見世物小屋と出合い、魅了された。10年間「最後の見世物小屋」を追った密着ドキュメンタリーだ。

障害者、珍品、奇獣、曲芸見せて去っていく興行者たち

   見世物小屋とは珍品、奇獣、曲芸などの出しものを行う小屋と定義さられている。奇形児などを見世物にして興行収入を得てきたこともあり、社会福祉が発達していなかった頃には身体障害者の生活手段の一つであった。昭和50年以後は障害者を舞台に出演させることへの批判が強まり、見世物小屋は衰退していった。また、映画のなかでも興行者が語っていたが、テレビの繁栄も見世物小屋衰退の要因である。

   映画の世界でも、1932年、トッド・ブラウニング監督の『フリークス』というアメリカ映画が、実際の見世物小屋の花形であった奇形児や障害者を起用して世間にショックを与え、イギリスでは30年間公開禁止とされるなど、近年は見世物小屋はタブー視されるようになった。

テレビ取材お断りの怪しい世界

   奥谷監督にタブーを打ち破るというような意識はない。テーマを追うスタイルではなく、観察するように観客と同じ視点を持ち続ける。この視点は、10年という歳月が与えた監督の「学生の好奇心」が「生活」へと変わっていく心境として伝わってくる。本来は取材を受けないという興行者たちが、奥谷監督の前では笑いながら語る。監督の若さ、迷い、未熟さがかえって垣根を取り払う安心感を与えているからだろう。

   興行者が語る回想は見世物小屋の歴史で、その繁栄の時代を知らない奥谷監督のリアクションがこの映画の狙いなのだ。テレビのドキュメンタリーではなかなかこういう興行者たちの素顔は捉えられないだろう。

   興行が終わった興行者たちの姿がとくに印象的であった。小屋をたたみ、荷物をトラックに積み、また次の町へと向かう。小屋は消えてしまうが、たしかにそこに「見世物小屋があった」という記憶は残っていく。 筆者も「靖国神社みたままつり」で興行を見た庫ことがあるが、それは恐くて、おもしろくて、どこか懐かしい想いを抱かせてくれた。その空間にはテレビが映す嘘がないのだ。

川端龍介

おススメ度☆☆☆☆

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