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大震災「被災建物」撤去か保存か…体験風化させたくない!中学生たちが募金活動

   2年余りが経過した東日本大震災の被災地では、、廃墟となった建物の解体が進みガレキが撤去されて、新しい街づくりのための広大な土地が広がっている。しかし、更地となっても、多くの命を奪った津波の力のすごさを象徴するような建物がまだそのままの姿で残されている。

   犠牲になった親族の辛い記憶がよみがえるので保存すべきでないという声、撤去すれば後世の人に悲惨な震災の教訓を伝えられなくなるという声など、保存をめぐって地元住民の間で議論が続いており、決められないでいるのだ。「クローズアップ現代」は岩手県大槌町の「旧町役場庁舎」と宮城県女川町の横転した3つのビルを例に、風化が懸念される震災の教訓をどうすれば後世に伝えることができるか取り上げた。

職員40人犠牲になった岩手県大槌町庁舎「見るの辛い」「いや、忘れる方が怖い」

   残された建物をどう捉え、誰がどのような方法で保存するのか。40人の役場職員の命が奪われた岩手県大槌町の旧町役場庁舎保存の是非をめぐって、有識者や遺族代表など11人による議論が始まったのは4か月前だ。このほど、ようやく周囲を公園にして庁舎の一部を震災遺構として保存する案が決まった。紆余曲折の末の結論だった。

   役場職員だった兄を奪われ、遺族代表として議論に参加した倉掘康(29)さんは「あれを見るものも嫌だし、あそこに行くのも辛い」と保存に強く反対した。同じ役場職員だった一人娘を亡くし、遺族代表の上野ヒデ(70)さんは「100年たとうが、200年たとうが、あれを残しておきたい。今の話ではないのです。残したくない気持は分かるんですよ。私自身、見るのは辛いですから。でも、その気持ちを忘れないでねと、私は言いたいのよ」と話す。

   議論が進まないなかで、専門家が全く違う視点で問題提起した。岩手県立大の豊島正幸教授がこういう。「昭和27年まで、高台にあった役場を中心に山沿いに住宅が広がっていました。昭和29年に役場が海沿いの低地に移転し、高度成長とともに人口が増加した昭和43年には新しい役場を中心に住宅広がり、平成13年にはさらに住宅地は海へと引き寄せられました。結局は、それで津波の被害が大きくなったと考えられます。その教訓を伝えるためには、今ある場所に残すという選択肢があるのではないでしょうか」

   そこで上野さんが17歳のときに経験したチリ地震の津波(昭和35年)を話し、「大槌町でもチリ被害が出たが、すぐに忘れ去られて、その教訓は生かされなかった」という。最終的には、高校生の「周囲を公園にして建物を保存すれば、子どもたちの遊び場にもなるし、震災の記憶も伝えられる」という案がキメ手になり、一部保存が決まった。

女川中学の3年生「1000年後の人の命を救うために今できることを」

   8割の家屋が流された宮城県女川町の中心部に、鉄筋コンクリートの3つのビルが根元から横転したままの姿で残っている。一度は震災遺構として残すことが決まったが、その後に反対の声が高まりまだ結論は出ていない。

   そんな中で、女川中学の3年生が中心となって建物を保存する募金活動が始まっている。「1000年後の人の命を救うために今できることを」を目標に、修学旅行で東京に来たときも、浅草寺などの観光スケジュールに大学や企業訪問を加え、「広島の原爆ドームのように残したい」と訴えた。

   広島の原爆ドームも戦後しばらくは「取り壊してほしい」という声がほとんどだったという。しかし、昭和30年代に始まった子どもたちによる募金や署名活動が流れを変え、戦後20年目にようやく保存が決まった。

建物被害しっかり残った初めての大津波―記録としての意味

   東北大大学院の五十嵐太郎教授は「これまでも津波災害はあったわけですが、基本的には木造の建物で、仮に残そうという議論が起こったとしても残らなかった。その意味で、今回の大震災は近代都市になって初めて起きたことで、コンクリートや鉄骨の建物が被災した。その気になれば長期的に残すことが可能で、これまで議論されたことがない初めてのケースなので複雑になっているのだと思います」

   国谷裕子キャスター「建築物を残す意味をどう捉えたらいいですか」

   五十嵐教授「津波は反復性を持った自然災害です。どこの場所にどの高さまで来るか、深く地形や場所との関係性を持ったタイプの災害です。リアルな形で町の中に建物が残っていることが非常に大きな意味を持っていると思います」

   縦長の東北地方の地図を見て、以前から漠然と思っていたことがある。福島県郡山から北上して、福島、一関、花巻、盛岡など主要都市はみな内陸の奥深くにある。陸奥といわれた昔から、津波を避けるように内陸に町が形成され発展してきたのではと推測してみたが、記録があるわけでもなし、まして遺構などなく理由は分からない。五十嵐教授が指摘するように、東日本大震災は震災遺構を残す初めてのケースになるのかもしれない。

モンブラン

NHKクローズアップ現代(2013年5月15日放送「1000年後の命を守るために~どう伝える 震災の教訓~」)