2024年 4月 25日 (木)

島倉千代子が東大生たちに話した過去「赤門くぐると人生変わるの。これまで3度…」

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   歌手・島倉千代子の告別式がきのう14日(2013年11月)、青山斎場で営まれ、およそ1000人の歌手、音楽関係者、3000人のファンが参列した。告別式では、亡くなる3日前に残した肉声のメッセージと同じ日に吹き込んだ最後の歌が流れた。遺影はおととし1月(2011年)に撮影された紫の和服姿だった。歌手仲間の石川さゆり、水前寺清子、舟木一夫、島倉のものまねを得意とするコロッケなど多数が参列する中でメッセージが流れた。

「私の部屋の中にスタジオができて、私はできる限りの声で歌いました。人生の最後に、もう2度と見られない風景を見せていただきながら、歌を入れられるって、こんな幸せはありませんでした。人生の最後にすばらしい、すばらしい時間をありがとうございました。」

   声は弱々しい。しかし最後を見極めたかのような静かな声だ。

死去の3日前に吹き込んだ新曲~あぁ あなたが歌ったうた 忘れはしない

   最後の歌「からたちの小径」(南こうせつ、喜多條忠)も流れた。

   なつかしいうたを 誰かがうたってる
   遠い日の思い出が よみがえる
   ………
   あぁ あなたが歌ったうた 忘れはしない
   好きです いついつまでも
   涙が ぼろぼろり
   ………

   新曲はデビュー60年の記念だった。さすがに声に往年の張りはないが、しみじみとしたいい歌だ。亡くなったのは、先週金曜日(8日)で75歳だった。16歳の1955年に「この世の花」でデビュー、「東京だよ おっ母さん」(57年)、「からたち日記」(58年)とヒットを続け、離婚や借金などの苦難をへて「人生いろいろ」(87年)につながった。

   石川さゆりが弔辞を読んだ。「島倉さんが『コロンビアには美空ひばり先輩、島倉千代子、都はるみ、そしてさゆり、あなたもこの先輩の流れを自覚して頑張るんだよ』とおっしゃいました。ホントにさみしいです」

   舟木一夫「お千代さんのけじめだった。最後まで歌と寄り添えてよかったなと、そのお姉さんの強さに敬服します」

   八代亜紀「すごく弱々しく感じるでしょ? でも本当はすごく強い、男っぽい感じがしましたね」

   水前寺清子「本当に強くて信じる道を真っすぐいらして、私たちもがんばって喜んでいただけるようにしたい」

   出棺の時は「人生いろいろ」が流れて、参列者から手拍子が起った。

政治ジャーナリスト・田勢康弘「東大で教えてたとき教室見たいとやってきた」

   政治ジャーナリストの田勢康弘氏には「島倉千代子という人生」の著書がある。告別式を「ご本人にいちばん見せたかった。全国から3000人が号泣していた」としみじみと話す。

   与良正男(毎日新聞論説委員)「どうして島倉千代子さんと?」

   田勢「子どものころ、多分いちばん若いファンクラブの会員だった。人生のほとんどを見てきた。強い人」「美空ひばりさんを尊敬して追いつこうとしてま したが、きのうの参列の人を見て追いついたなと思いました」

   司会の井上貴博アナ「印象に残る出来事はありますか」

   田勢「東大で教えていたとき、教室を見たいとやってきました。学生に『赤門をくぐるのは3度目。1度目は安田講堂事件を見に来た。2度目は東大病院で乳がんですといわれた。赤門をくぐると私の人生が変わる』と話してました。学生がびっくりしてました」

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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