タモリも知らなかった「江戸町作り」原点は小田原!徳川家康が真似た神田上水と総構え

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   <ブラタモリ(NHK総合)>武田信玄や上杉謙信も攻めあぐねた小田原城を擁する神奈川県小田原市は、人口20万人弱と県下でも上から10位の中規模都市ですが、戦国時代は関東一のにぎわいを見せていたといいます。ここにはのちに徳川家康が築く「江戸の原点」があるというので、タモリさんが確かめにやって来ました。

   向かったのはお城の西側1・5キロにある早川のほとりです。そこで合流した小田原の街歩きの達人・平井太郎さん(弘前大准教授)は、早川に沿って東西に貫く「小田原上水」が「江戸の原点」の1つだと言います。海を臨む小田原の井戸水は海水が混ざるため塩辛く、飲み水に適していなかったので上水が引かれたということです。これは内海(東京湾)の入り江を埋め立てた江戸も同じで、「家康は江戸を開くとき、小田原に来て家来に上水を研究しろと命令しています」(平井准教授)。これによって玉川上水や神田上水が作られる。

北条攻めでひらめいたヒント

   お城から住宅街に来たところで、タモリさんは道路の端に不自然に石が並べられていることに気づきます。暗渠の跡で、1590年に豊臣秀吉の16万の大軍に包囲された小田原合戦の痕跡なんですって。暗渠は2本並行して通っており、挟まれた部分がお堀で、お堀の内側には土塁が盛られました。

   これがいわゆる総構えです。全長9キロにわたってぐるりと城と城下町を取り囲み、秀吉の攻撃に備えたのでした。小田原市文化財課主査の佐々木健策さんは「総構えこそ江戸の原点なんです」と、ここでも強調する。総構えは湿地帯の水を利用し、幅は広いところで70メートルも幅があったといいます。堀は水を堰き止める障子掘とし、赤土を使った斜面は滑りやすく、足に水がついたら堀を越えるのは不可能だったそうです。

   江戸にも城と町を守る総構えがあります。江戸城外堀です。家康は小田原合戦に参加したときに見知ったのでしょう。陣を張ったと伝わる総構え東側の土地を提供した家には、家康から拝領したという槍の先端が今も保管されていました。

   佐々木さん「江戸の原点は小田原にあり。どうでしょうか」

   タモリさん「言えますね。これ見て江戸城もこうしようとしたわけですか」

   (放送1月23日よる7時30)

葉月

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