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<ふたりの死刑囚>
袴田巌、奥西勝「死刑判決」との闘い!物証乏しく『自白』迫る強引捜査・・・東海テレビまたまた出色ドキュメンタリー

(C)東海テレビ放送
(C)東海テレビ放送

   2014年3月27日、ひとりの死刑囚が釈放された。袴田巌(79歳)。1966年、静岡県清水市(当時)の味噌会社で4人の焼死体が見つかった事件で、袴田は確定死刑囚となった。映画の冒頭に、袴田がすり足で自宅のマンションの廊下や部屋を歩き回るシーンが出てくる。刑務所の拘禁反応の後遺症のためだ。

最新DNA鑑定で血痕は別人と判明!崩れた検察側主張

   袴田は中学を卒業し自動車工場で働いていたが、19歳のときにボクシングと出会い、プロを目指して上京する。日本フェザー級6位まで勝ち上がっていたが、膝を痛めて引退に追い込まれ、静岡に戻って味噌会社に就職した。事件の49日後、30歳のときに逮捕された。240時間に及ぶ取り調べの末、袴田は「自白」した。

   しかし、裁判では一転して「自白」は強要されたものとし無罪を主張した。すると、事件から1年2か月もたってから味噌工場の樽の中から血に染まった衣服が発見され、付着していた血液が袴田と同じB型で、検察側は犯行時に袴田が着ていたものだとした。1980年、44歳のとき死刑が確定した。ところが、08年、2度目の再審請求で、弁護団は最先端の科学技術で味噌樽の衣服の血液をDNA鑑定し、袴田のものと一致しないことをつきとめる。

   獄中の袴田はいつ来るかわからない死刑執行におびえ、幻覚や妄想が現れる拘禁反応に陥った。48年ぶりに釈放された袴田は、3歳年上の姉と生活を始めた。姉は出てきた弟が家賃収入で暮らしていけるようにと、22年前に3階建てのビルを9000万円で新築、ローンは18年で完済した。「結婚してどうのこうのなんて、そんな余裕はなかったよ。これも運命でしょ。運命としか思いようがない」と姉は語る。

   15年3月5日、後楽園ホールに袴田の姿があった。リングにあげられた袴田は会場の観衆の大拍手を受ける。「リングは血が踊るんだなあ」と袴田は笑顔で語った。しかし、検察はDNAの再鑑定を求めて弁護団と対立、いまだに再審は始まらない。

村人たちに掘り返され追いやられた先祖代々の墓!家族も村八分

   15年10月4日、ひとりの死刑囚が獄死した。奥西勝(享年89)。1961年、三重県名張市の村の懇親会で、ぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡した「名張ぶどう酒事件」で死刑を言い渡されていた。35歳で逮捕され、「自白」は強要されたものだと主張して無実を訴え続けた。事件後、奥西家の墓は村人たちに掘り返され、共同墓地から離された。奈良県の山村に暮らす4歳年下の妹は無実を信じ、片道5時間かけて兄のもとに通い続けた。

   ナレーションの仲代達矢の重厚な語り口が真実の重みをつきつける。仲代は東海テレビ制作のドラマ「約束 名張ぶどう酒事件 死刑囚の生涯」(2012年)で奥西勝を演じた。東海テレビは「光と影~光市母子殺害事件弁護団の300日」「平成ジレンマ」「ヤクザと憲法」などの意欲作を発表し続けている。「東海テレビはあなたが無罪になるまで、取材をし、ドキュメンタリーを制作し続けます。どうか天国から見守っていてください」と制作者は誓った。

   二つの事件に共通しているのは、物的証拠の乏しさだ。そのため、警察は自白を引き出そうと強引な取り調べを続けた。

   この映画のタイトルは「ふたりの死刑囚」だが、3人目の死刑囚が登場する。帝銀事件の平沢貞通だ。1948年、東京の帝国銀行で12人が毒殺された。逮捕され死刑囚となった平沢は、裁判のやり直しを何度も求めた。87年に肺炎で死亡。拘留生活は39年、18度目の再審請求の途中だった。

   塀の中の半世紀。再審の棄却を何回も繰り返している間に死刑囚が病死する。司法はこれを狙っていたのか・・・。献身的な家族の支えが感動的だ。

佐竹大心


おススメ度☆☆☆