「安っぽい同情」NHKルポ!古アパート・団地に取り残された住人は被害者か?住み続けた自己責任
<にっぽん紀行 ゆめ集いし五輪団地>(NHK総合)

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   取り壊された国立競技場の跡地の囲い塀の横に、高橋克典が立ってうやうやし気にイントロを吐く。この近く、前の東京オリンピックを自宅から見つめた住民の残る都営霞ヶ丘アパートの最後の日々を追うドキュメントだ。柴崎俊子さん(89歳)は自宅のベランダから空の五輪マーク飛行機雲を見た。奥原博子さん(79歳)は洋服仕立て職人(10年後に廃業)の夫が入院中。甚野公平さん(82歳)は雑貨店を営んできて顔が広い。1964年の東京オリンピックの入場券をまだ持っている。それぞれのこのアパートでの最後を見つめる。
   確かに先のオリンピックで入居し、2020年に向けて取り壊される彼らを、詠嘆調で語りたくなる気持ちもわからぬではない。だが、古い団地やアパートに取り残された住民のルポで筆者がいつも違和感をもつのは、その人たちをまるで何かの被害者のように描くこと。言わしてもらえば、彼らがさっさと脱出しなかったのは彼らの自己責任であって、いわば己の甲斐性がなかったからではないのか。
   夥しく残っている多摩ニュータウンの高齢者住民も、櫛の歯が抜けたようなアパート群に取り残された高齢者住民も、いわゆる弱者として同情的に描くのは、いい加減でやめたらどうか。隔離されて生き残った悲劇のハンセン病患者とは違うのである。普通に健康で生活してきた住民の、取り残され組は、本人たちの選択の結果だろう。いかなる他者にも責任はない。彼らの自己責任なのである。(放送2016年2月11日19時30分~)

(黄蘭)

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