2024年 4月 20日 (土)

「もう生きられへん。これで終わりや」86歳認知症母親と「介護疲れ心中」54歳息子の地獄

   YouTubeで再生400万回以上の動画がある。2005年に京都で起きた介護殺人のまとめだ。54歳の息子が86歳の認知症の母親と心中を図ったが、息子は死にきれなかった。その時の2人のやり取りに法廷は泣いた。執行猶予を言い渡した裁判官は、「お母さんの分まで幸せに生きて」と声をかけた。しかし息子は8年後、琵琶湖に身を投げた。62歳だった。

   介護や看病から家族を殺害した事件は、昨年(2015年)だけで未遂も含め44件に上る。家族介護の厳しさを初めて世に突きつけたのが、この事件だった。経緯は漫画やドラマ、演劇にもなった。しかし、男性の死は地元紙でも報じられなかった。

母親「そうか、あかんか。こっち来い、わしの子や」

   男性(Yさん)は両親と3人暮らしだった。父親が亡くなった頃から母親の認知症が出始め、Yさんは献身的に介護したが、徘徊など症状が進むと、会社を辞めざるをえなくなった。経済的、精神的に追い詰められ心中を図る。最後の時のやり取りを法廷でこう話した。 Y「もう生きられへんのやで。ここで終わりやで」

   母「そうか、あかんか。一緒やで」

   Y「すまんな。すまんな」

   母「こっち来い。わしの子や」

   執行猶予付きの温情判決を受けたYさんは「母の歳まで生きる」と裁判官に約束した。Yさんは判決から1か月後、滋賀・草津市に転居した。木材加工会社に職を得て、月収は20万円前後。当時55歳で独身だった。家賃2万2500円のアパートに住み、休日には、好きだった渓流釣りも再開した。支援者にも「母の一周忌をむかえました。元気に生きてます」と書き送っていた。

   しかし、61歳の時、景気悪化で仕事を失った。残された預金通帳を見ると、残高は30万円足らず。その後、金属加工の仕事を得たが、年齢で視力が弱っていたため長続きしなかった。「母の歳まで」というYさんを親戚は励まし続けていたが、亡くなる3か月前、貯金は6万円に減っていた。それでも助けを求めることもなく、家賃が滞ることもなかった。Yさんは知人に渓流釣りの毛針を送ったりもしていた。アパートで作り続けた数十個がケースに入っていた。幸せだった頃を思い出していたのかもしれない。

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