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「プレステ」産みの親 SCE久夛良木悲劇の「引退」

   ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)の久夛良木健代表取締役会長が「本人の申し出」(SCE広報)によって代表取締役会長を退任し、2007年6月19日から名誉会長に退くことになった。4月26日に行われた突然の発表について、メディアでは「PS3不振の責任を取った」という見方がもっぱらだが、それだけではないようだ。

「ソニーには何か能力が欠けているのだろう」発言

辞任を発表するプレスリリースには、ストリンガー会長のコメントもついていた
辞任を発表するプレスリリースには、ストリンガー会長のコメントもついていた
「(ソニーが部品の量産を)できると言ったからSCEは出荷計画を発表したが、できないということは何か能力が欠けているのだろう」

   当事SCE社長だった久夛良木会長は、2006年9月6日に行われた「PS3」発売延期の記者会見で親会社ソニーに対する怒りを露にした。延期の発表はこれが2度目で、いずれもソニーが担当している「PS3」に搭載するBlu-ray Disc(BD)システムの開発の遅れだった。この時点で「おやっ?」と思わせるものがあった。

   久夛良木会長の「PS」戦略は「PS2」以降、「ゲーム機ではない」などという発言とともに、ソニー本体に「とことん奉仕」する形になっていた。「PS2」ではDVDドライブを搭載、半導体開発・製造。「PS3」ではBD機能搭載、汎用半導体「「Cell」(セル)」の開発。そして「PS」の成功により03年4月にソニーの副社長に就任する。「PS2」以降、ゲーム業界では開発費の高騰と、ヒット作が出ないなどで、倒産や合併に追い込まれる会社が続出。しかし、圧倒的シェアを持つ「PS2」だけに、ゲーム会社はSCEの戦略に従うしかなかった。久夛良木会長はこの時、ソニーグループ内の地位も保ち、ゲーム業界に君臨していた。

   しかし、「この世の春」は続かず、05年3月に副社長を退任。「PS3」発売にむけ陣頭指揮を取るが、BDシステムの開発が遅れ、販売が延期。やっとのことで06年11月に発売するが、人気、売り上げともライバルの任天堂「Wii」に差を付けられた。

   さらに、最大のヒットシリーズ「ドラクエ」本編の次回作が、「ニンテンドーDS」へ鞍替えされた。「PS3」の普及が見えないことで、ゲームソフトメーカーは任天堂ゲーム機用に開発を向けている。SCEは新社長に平井一夫氏を迎え、久夛良木社長は会長になった。

SCEを離れて、更なるチャレンジを、と意欲

   ゲーム業界に詳しいジャーナリストは、こうした経過から久夛良木会長の辞任の背景について、

「親会社にとことん奉仕しても地位が与えられない。それどころか足を引っ張られる。世話になったゲーム業界からは『ゲーム業界を食い物にした』などという噂まで立てられ、任天堂に鞍替えされる。もう嫌になっちゃって、こんな状況では辞めるしかない、ということなのでしょう」

とJ-CASTニュースに話した。

   SCE広報はJ-CASTニュースの取材に対し、久夛良木会長の辞任について、

「PS3を日本、北米で発売し07年3月にヨーロッパでの発売に漕ぎ着けたことで区切りが付いた。また、平井社長を後継者として育成してきまして、そういった意味で退任するタイミングとしては適切」

と説明する。また、一部の報道にあった「ソニー社内から経営責任を追求する声が上がっていた」という事については全面否定した。
   久夛良木会長は、今回の辞任についてニュースリリースでこう説明している。

「4つ目のプレイステーションプラットフォームを導入し終えた今、これらのプラットフォームにより最先端の技術と全世界のクリエイターの皆様の創造力を結び付けることによって、コンピュータエンタテインメントの新しい世界を加速できたことは私にとっても大変エキサイティングな経験でした。今後はこの経験を活かし、更なるチャレンジを、SCEを離れて更に広いネットワークで加速していきたいと思います」