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つくる会・扶桑社「喧嘩別れ」 「右よりで売れないから」?

   「新しい歴史教科書をつくる会」と、同会が執筆した日本史や公民の中学生向け教科書を発行している扶桑社が、袂を分かったようだ。共にこれまでの「自虐史観」から脱却した教科書を供給しようと手を結んでいたはずの両者だが、「歴史観」を譲れない「つくる会」と、教科書を売りたい扶桑社の「すれ違い」が背景にありそうだ。

「今の採択結果では、採算、ビジネスとして困る」

「つくる会」は、扶桑社が「右よりで教育委に採択されない」と述べたと考えている
「つくる会」は、扶桑社が「右よりで教育委に採択されない」と述べたと考えている

   「新しい歴史教科書をつくる会」は2007年5月31日、扶桑社との関係を断絶し、扶桑社以外の出版社から教科書を発行する方針を発表した。これに伴い、扶桑社側との妥協点を探っていた会長の小林正会長を解任し、新会長に藤岡信勝・拓殖大教授を選出した。

   「つくる会」は06年11月、発行元の扶桑社に対し、「つくる会」の教科書を継続して発行する方針を明示するように要求。これに対し、扶桑社は07年2月、「広範な国民各層に支持されるものにしなければならない」として、別法人を設立して新しい内容の教科書をつくる意向を「つくる会」に伝えた。「つくる会」はその後も扶桑社と交渉を続けたが、結局「断絶」の道を採ることになった。

   では、扶桑社はなぜ「つくる会」の教科書を発行するのをやめたのか。扶桑社が07年2月に「つくる会」宛てに送った回答書によれば、言い分はこんな具合だ。

   ――「つくる会」が会長人事で06年9月以降に組織内に混乱を生じ、有力メンバーの一部が「日本教育再生機構」を設立するなどして分裂。「つくる会」有力メンバーが「再生機構」との協働を拒否し、これまでの枠組みで教科書の編集ができないため、別の新法人を作り、広範な国民各層の支持が得られる執筆人で教科書を発行するに至った。

   「つくる会」は、この回答のあとに両者で5月25日に行った最終的な交渉でなされた主な発言を次のように紹介している。

扶桑社 「また同じものを出して、今の採択結果では、採算、ビジネスとして困る」
つくる会 「西尾・藤岡をはずし、教育再生機構側の人を責任者にするのは理解できない。教育再生機構が組織としてつくる会の教科書に発言する権利はない」
扶桑社 「2回目の検定を通った教科書をそのまま3回目にも出すというなら、それはそれで結構だが、私たちはそれは取らない。それなら、扶桑社として、極論をいえば、どこかの出版社から出してもらいたい」
つくる会 「結局、中味が悪いから採択率が低かったと判断されているようだが、間違いだ。扶桑社としては、つくる会との関係を従来の2回の採択の時の状態に戻すということについて、再考の余地はないという風に受け止めてよいか」
扶桑社 「はい」

   また、藤岡新会長は07年5月31日に発表した公式コメントのなかで、扶桑社が「つくる会」との関係を解消した理由は、扶桑社が「現行の『新しい歴史教科書』に対する各地の教育委員会の評価は低く、内容が右寄り過ぎて採択が取れないから」と判断したことにある、と説明している。

「喧嘩なんてするつもりはないのだが・・・」

   つまり、「つくる会」としては、同会の教科書が内容的に教育委に採用されず、ビジネスを先攻させたために、関係を解消しようとした、と判断しているようだ。実際、「つくる会」の教科書は、02年度供給本については歴史教科書で約1千部、2006年度については約5千部の採択にとどまっている。

   扶桑社はJ-CASTニュースの取材に対し、「『つくる会』の動向についてはコメントを差し控えたい」としながらも、次のように述べる。

「(『つくる会』が公表している最終交渉の内容は)正確な表現ではない。そういうこともあり、今後(扶桑社として)公式に見解を述べたいと思っている。現段階では、(事実関係について)申し上げられない」

   また、藤岡新会長が「右よりで教育委に採択されない」と扶桑社が述べているとしたことについては、「そんなことは一切申し上げていない」と全面否定している。

   「つくる会」関係者は扶桑社のこの主張について、「そんなこと言ったのか?確かに扶桑社はそう述べたはずだ」と驚いた様子を見せている。両者の「すれ違い」は深刻そうだ。この関係者は次のようにも漏らす。

「ずっと一緒にやってきたし、喧嘩なんてするつもりはないのだが・・・」