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【連載】ブロードバンド“闘争”東京めたりっく通信物語
39. 野田聖子郵政組に勧められ自民党本部でぶつ

あのときの東京(1999年~2003年)」 撮影 鷹野 晃
あのときの東京(1999年~2003年)」 撮影 鷹野 晃

   私の生涯でこの2000年の秋ほど政治権力と呼ばれるものの中枢に近づいたことはかつてなかった。

   まず9月、小渕内閣で女性郵政大臣を務めた野田聖子に会ってみろという勧めがあり、議員会館を訪れた。「もっと豪傑風の大男かと思ったら意外に小さいのね、がっかりよ」、など無駄口を叩かれているうちに、自民党の政務調査会にIT戦略チームが発足したので是非そこでADSL時代を一席ぶってくれと言われた。

   招かれて、自民党本部に行くと、国会議員20人ほどが待受けていた。さっそくNTTを何とかしろとアジって清々して返ってきた。NTT出身の世耕とかいう議員がばつが悪そうに反論したのを覚えている。

   次に内閣調査室である。確か、めたバーでの会談を設定した。中年男たち数人からTMCの成り立ちをしつこく訊かれた。ADSLは国家安寧の一大事とでも思ったのだろう、納得して事なきをえたようだった。その後、接触は絶えた。

   そして10月には終に公正取引委員会の出番となった。

   こちらから工作したわけではない。向こうからいきなりやって来た。どこかの誰かにそそのかされて調査に来たという風体の若い兄ちゃん、お嬢ちゃんたちの訪問を二度ほど受けた。

   用件の趣旨は、NTT東がADSL事業の新規参入に妨害工作を加えた筈なのでその証拠を調べているという。

   私にしてみれば、この問題提起の進め方はかなり鼻白むものであった。何を今更という思いである。

   電電公社民営化の過程で、君たちはなぜ登場しなかったのか?公社官僚の人脈をそそまま温存し、世界にも稀な通信設備巨額「払い下げ」を断行、国家独占をより始末の悪い民間独占とする手助けをしたのは君たちのお仲間でしょう?だったら自己批判からはじめてまず郵政省でも独禁法違反容疑で槍玉に挙げたらいかがですか、と言いたい心境であった。 この民間独占に如何に国民は泣かされて来たか、またその経営陣は亡国を厭わぬ利権集団としていかに急速に堕落しつつあるか、この事実を私は面談を買って出て強調した。

   ADSLなどとケチなことを言わず、独禁法で挙げるなら根こそぎやれと煽った。

   しかし彼らの欲しいものは私の説教でなく、新規参入妨害の証拠であった。事務的に聞き取り調査が進む。試験エリアを都内6局に限定しましたね、各局の回線数も上限を設けましたね、工事はNTT認定業者にしか、やらせませんでしたね、166番への利用申込を自社接続に誘導しましたね、等々。的確でレクチャ済みの感があった。しかし積滞状況については無知で、ここは礼を尽くして説明したがあまり感動してくれない。

   私の応対は概ね次のようであった。

   確かに妨害はありましたよ。商用試験サービスなんてスキームは、いかさまの時間稼ぎです。しかし、爆弾でも投げ込まない限り、我々のような資産もろくにない民間ベンチャーが、こうした妥協を繰り返しながら一歩一歩肉薄して実質的に独占を潰す以外に他にどんなやり方があるというのですか、良いアイディアでもあれば教えて欲しいものです。

   こちらは、局舎限定も回線数制限も工事支配もぜんぶ実力行使で突破して来ているんです。こんな調子でこちらはあまり友好的ではなかった。

   爆弾を投げ込むのを君たちなら合法的にやれる。違いますか、と暗に励ますつもりもあった。

   そして最後には、相互接続会議の議事録や資料のコピーを取らしてくれと彼らの獲得目標が提示される。うん、確かNTTとの間には守秘義務協定というものがあったよな、公正取引委員会を漏洩対象とはしてはいなかったが。

   そこで私は随分考えた末に全コピーでなく、すでに報道発表済みかマスコミ報道された項目に対応する部分コピーを渡すこととした。正義の味方という彼らの面子を一応は立てたのだ。これで何がしかのインパクトを与えられるなら、これはこれで利用しない手はないだろう。

   だが尻尾を振る犬のような真似はしたくなかった。その妥協が部分コピーであり、協力の事実を示しつつも不信感を失っていないとの意志表示でもあった。

   実際、私は彼らを信用していなかった。苦い事実を経験していたからである。1996年であったと思う、東京インターネットがNTTのISP進出(OCN事業)を公正取引委員会に独禁法違反で提訴したにも拘わらず、門前払いを食ったことがあるからだ。インフラはともかく、ISP事業の独占は許せなかったのだ。

   却下の理由は、OCN事業認可は行政(郵政省)の領域に及ぶことであり、我が役所は民間領域に権限が限られることから請求不適格というものであった。この吼えることを知らぬ番犬め、と高橋徹氏や鈴木優一氏とともに罵ったものである。

   と、するならば、今回も郵政省が商用試験サービス段階を取り仕切っているのだから、泰山鳴動ねずみ1匹で終わるだろう、と正直なところあまり期待しなかった。事実、彼等の訪問はこれっきりで終わる。

   だが今回は吼えない番犬が吼えた。マスコミも活用した。TMC、イー・アクセス、日本交信網などがADSL事業の新規参入が妨害され、その一方で妨害したNTTは自前サービスの準備を着々と進めており、独占禁止法の疑いありで調査中との報道が流れてきた。NTTに独禁法のメスが入るのは史上初ということで、世情は騒がしくなる。

   何よりも、NTTの経営陣の狼狽を誘ったようだ。なにしろ、自己の権力基盤が行政との癒着にありとする上手の手から水がこぼれたからだ。郵政は何をしてるんだ、あの番犬の番ができてないのか、ドタバタと政治的諸調整が展開されたことであろう。

   だが、このひと吼えは最終的にNTTに何ら痛痒を与えなかったようだ。それというのも、12月に出された公取委の処分は「警告」という厳重注意レベルに留まってしまったからである。検察への「告発」、事業活動を制限する「排除勧告」といった実効性ある措置は見送られた。結局、泥棒には噛み付かなかったのである。とんだ茶番劇であった。

   我々にとって、ご利益も殆どなかった。上述のように参入障壁は事実を積み重ねて、実質上、既に突破していたからだ。ただし、後発組は、キャンペーンを大いに利用できたであろう。しかし、我々はそれどころではなかった。先発組としては積滞に嵌って、もはやNTTの肉を噛み千切らねば何事も始まらない所まで体力を使い切っていた。


【著者プロフィール】
東條 巖(とうじょう いわお)株式会社数理技研取締役会長。 1944年、東京深川生まれ。東京大学工学部卒。同大学院中退の後79年、数理技研設立。東京インターネット誕生を経て、99年に東京めたりっく通信株式会社を創設、代表取締役に就任。2002年、株式会社数理技研社長に復帰、後に会長に退く。東京エンジェルズ社長、NextQ会長などを兼務し、ITベンチャー支援育成の日々を送る。

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東京めたりっく通信株式会社
1999年7月設立されたITベンチャー企業。日本のDSL回線(Digital Subscriber Line)を利用したインターネット常時接続サービスの草分け的存在。2001年6月にソフトバンクグループに買収されるまでにゼロからスタートし、全国で4万5千人のADSLユーザーを集めた。

写真
撮影 鷹野 晃
あのときの東京(1999年~2003年)
鷹野晃
写真家高橋曻氏の助手から独立。人物ポートレート、旅などをテーマに、雑誌、企業PR誌を中心に活動。東京を題材とした写真も多く、著書に「夕暮れ東京」(淡交社2007年)がある。

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