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M・ジャクソン秘話 ソニー盛田氏を「先生」と慕っていた

   「ポップスの帝王」マイケル・ジャクソンさんの訃報が報じられて、はや2週間が経つ。死因はいまだはっきりとはわからず、今や「伝説の人」になりつつある中で、マイケルさんが生前、ある日本人を「先生」と呼び、心から慕っていたことがわかった。その人物とは、ソニー創始者の1人、盛田昭夫さんである。

「どうしたら若い人達の心を掴むことが出来るだろうか」

   マイケル・ジャクソンさんと盛田昭夫さんとの親交がはじまったのは、1987年。アルバム「BAD」リリース後の9月、マイケルさんはソロツアーで初来日。このとき、盛田さんが妻の良子さんとともに、コンサートへ足を運んだことがはじまりだった。コンサート終了後、マイケルさんはマネージャーを通じて、盛田さんと話がしたいとリクエストしたのだ。

   そのときの様子は、オフィシャルサイト「盛田昭夫ライブラリー」の中の「妻・良子が語る 人間『盛田昭夫の素顔vol.6』マイケル・ジャクソンさんとの思い出」(2009年7月7日更新)に、1987年のソロツアー来日の際の出来事として、次のように書かれている。

「彼は、『今日、ミスター盛田が来て下さったことのお礼を言いたかったのです。そして今日は自分が100%満足のいくショーが出来なかった。声も出なかった。次回の公演には必ず今日以上のショーをお見せしたいので、是非又おいでいただきたい』と言って幾度も謝っていたそうです」

   日本滞在中、マイケルさんは盛田さん宅で行われた良子さんの誕生パーティーにも参加。このとき、まったくの自然体で振る舞い、自動ピアノ、オルゴールなどに興味を示し、子供のように楽しんで過ごしたという。その後も親交は続き、来日の際には、行き来があるのは常だったようだ。

   また、盛田さんに「どうしたら若い人達の心を掴むことが出来るだろうか」「どうしたら自分はもっともっと尊敬される人になれるだろうか」「誰を信じたら良いのだろうか」と質問攻めしたこともあった――。

闘病中の盛田さんに肉声のテープを送っていた

   1993年11月。盛田さんが脳内出血で倒れたとの話を聞いて、大変に心配したのがマイケルさんだった。このとき、盛田さんにあてて送った肉声のテープがあった。

   フジテレビ系情報番組「とくダネ!」によると、テープは「盛田さん」との呼びかけから始まり、優しい口調で語りかける。ちなみに、ラベルには直筆で、「これを朝、昼、晩にかけて聴いて下さい」と書かれていた。

「盛田さん。盛田さん。盛田さん。こちらはマイケル・ジャクソンです。どうかよくなってください。早く良くなってください。あなたは僕たちを導いてくれる存在です。あなたは僕たちの先生であり、リーダーであり、僕たちそのものです。あなたはたくさんのことを教えてくれた。あなたはとても強い人だ。僕はあなたを信じている。『1日1日何としても良くなるんだ』と、この言葉を意識の中で繰り返してください」

   26分間におよぶテープにはときおり、歌を交え、病床の盛田さんを励まし続けた。とくに、「I'm feeling better and better【私はどんどんよくなっている】」という箇所では数秒間の間を取って、しかも、3回繰り返して吹き込まれていた。盛田さんが口ずさめるようにとの配慮である。盛田さんはその後、1999年10月に死去したが、その6年間、朝夕このメッセージを聞き続けたのだという。

   マイケルさんの優しい、素顔の一面が垣間見えるエピソードである。良子さんはホームページで、「誰も信じる事が出来ず、子供に動物に安らぎを見出していたマイケル。今天国にあって、静かな安らぎの中に、誰に気を遣うことなくゆっくり休んでいるのでしょう」と、その早すぎる死を悼んでいる。