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被災者の再スタートは「さよなら」という日本人の原発想
「震災と日本人」連載17

   「津波の被害に遭った木造2階建ての自宅は解体することに決めた。もうすぐ壊される予定で、『これで何もかもなくなった』と見届けてから仕事探しなどの再スタートを切りたい。中学2年生の娘もいる。どうやって収入を得ていくかが気がかりだ」(朝日新聞「いま伝えたい 被災者の声」2011年6月2日)。

   石巻市の小学校に避難している59歳の被災者の「声」である。「何もなくなった そして再スタート」と題されたこの記事に添えられた写真の表情は、にもかかわらず、不思議なほどに静かに穏やかに微笑んでいる。

   東北人特有という言い方もできるのだろうが、より一般的には「天然の無常は遠い遠い祖先からの遺伝的記憶となって五臓六腑にしみ渡っている」(寺田寅彦)といったような表情でもあるように思う。

   日本人にとって無常感とは、かならずしも暗くて後ろ向きな感じ方や考え方ではない。そこには不思議なほどのたおやかな明るさや強さ、やさしさといったものを見いだすことができる。それがいかに切なくつらくとも、そこには、寺田の言うように、「厳父」のみならず「慈母」でもあるという「天然」の働きへの大いなる諦め(明らめ)ないし安心ともいうべき感受性がふくまれている。

「サヨナラほど美しい別れの言葉を知らない」

   ところで、「『これで何もかもなくなった』と見届けてから仕事探しなどの再スタートを切りたい」という考え方には、日本人の「さらば」「さようなら」というあいさつの原発想をうかがうことができる。「さらば」「さようなら」とは、もともとは、「さあらば」「さようならば」という意味の接続詞であったものが、別れ言葉として自立して使われるようになったものである。そこには、別れに際して、「さようならば」と、いったん立ちどまり、何ごとかを確認することによって、次のことに進んで行こうとする日本人の独特な発想がひそんでいる。

   『平家物語』の最終部に、平知盛の「見るべき程の事は見つ」という有名な言葉があるが、それはまさにこの「さようならば」ということである。知盛の場合には、平家の侍大将としての立場からこのあと自害という行動をとってしまうのであるが、それは、次へのあらたな一歩を踏み出す再スタートの言葉と考えることもできる。

   そこで何を見、確認しているのかといえば、(むろんいつも意識的にそうしているわけではないが)、まず一つは、自分がそれまでやってきたことを自分なりに総括・確認するということである。知盛は、これでよし、この戦いはこれでお終いだ、と自分のやってきたことにけじめをつけることで次の行動に移ることができた。

   もう一つは、そうなるにあたっては、自分にもどうにもならなかった不可抗・不可避なこともあったわけで、そのことの確認でもある。「サヨナラ」ほど美しい別れの言葉を知らないと言ったアメリカの作家、アン・リンドバーグは、世の中には出会いや別れをふくめて自分の力だけではどうにもならないことがあるが、日本人は、それをそれとして静かに引き受け、「そうならねばならないならば」という意味で「サヨナラ」と言っているのだと解釈している。

   そこには、それまでのことを確認・承認することによって、その先どうなるかは問わないままに、何らかのかたちで未来に繋がりうるという、そうした期待と願いが込められている。「さようなら(ば)」というあいさつには、そうした大事な含意がある。

   原発や復興対策の遅れなど、現実のおかれているきびしい現状を承知のうえで、なお、われわれの根底に流れてきている、こうした「遠い遠い祖先からの遺伝的記憶」からの知恵と願いとを信じたいと思う。(竹内整一)