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坂田明、鎮魂の演奏「犠牲者を弔い続けるのが役目」【岩手・大槌発】

佐々木さん(右)の無事を喜ぶ左から坂田、菅原の両氏=一関市のベーシーで
佐々木さん(右)の無事を喜ぶ左から坂田、菅原の両氏=一関市のベーシーで

(ゆいっこ花巻支部;増子義久)

死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない
(詞 谷川俊太郎/曲 武満徹)

   サックス奏者、坂田明さんの絞り出すような歌声が会場に流れたとたん、ひげ面の佐々木賢一(70)の眼から大粒の涙がこぼれ落ちた。あの大震災で九死に一生を得た佐々木さんは「生死を分けたのは運命のいたずらだとしか考えられない。でも、生かされた以上、この歌のように精一杯生きるしかない」とつぶやいた。


   佐々木さんが大槌町の中心部にジャズ喫茶「クイーン」をオープンしたのは50年以上も前。岩手県最古のジャズ喫茶として、県内のジャズ界を引っ張ってきた。坂田さんとはそれ以来の長い付き合いだ。大震災の時、隣家に住む音楽仲間の大久保正人さん(56)の車に乗せられて高台に避難、間一髪で一命を取りとめた。


   被災後、名古屋市内の妹さんの元に身を寄せていたが、今月初めに花巻市内の雇用促進住宅に入居した。「クイーン」の跡地は土台を残すだけで、当時の面影を伝えるものは何もない。一関市の老舗ジャズ喫茶「ベーシー」の店主、菅原正二さんら仲間たちが花巻への移住を勧め、27日、佐々木さんの生還を祝う坂田トリオ(ピアノ、ドラム、ベース)のライブが「ベーシー」で開かれた。


   「生きているものが残らなければ、だれもいなくなる。生きているものが明日に向かって生きなければ、誰が亡くなった人たちを弔ってあげられるでしょうか」。『死んだ男の残したものは』を歌い終わった坂田さんはこんなことはめったにないことだが、眼を真っ赤にはらした。佐々木さんもうなずきながら、涙をこぶしで拭った。


   大槌町ジャズ愛好会の会長をしていた菅谷義隆さんはあの時、住民たちを高台に誘導しているうちに津波にさらわれた。未だに行方が分からない。「夫がこの場にいたら…」。「クイーン」でジャズに聞き入るありし日の写真を抱いた奥さんの眼からも涙がとどめなく流れ落ちた。会場を埋め尽くした人たちは合掌しながら、口をそろえた。「いま生きている人間は犠牲になった全ての人たちを弔い続けるという役目を担っているのだと思う」


   リクエストに応えて坂田さんは反戦映画の傑作『ひまわり』(ヴィットリオ・デ・シ-カ監督、1970年)の主題歌を演奏した。主演のソフィア・ローレンがウクライナの地下鉄の階段を上ってくるシーンがある。その背後に見えるのは事故前のチェルノブイリ原発の巨大は建屋である。坂田さんは最近、福島第一原発事故の直接の被害を受けた南相馬市で鎮魂の演奏会を開いた。「原発事故を含めた今回の大震災は人間の生き方の根本を問い直しているのです」とライブを締めくくった。

跡形もなく消えてしまった「クイーン」跡地。軽乗用車が2台ひっくり返っていた(4月上旬、大槌町で)
跡形もなく消えてしまった「クイーン」跡地。
軽乗用車が2台ひっくり返っていた(4月上旬、大槌町で)

ゆいっこは民間有志による復興支援組織です。被災住民を受け入れる内陸部の後方支援グループとして、救援物資やボランティアの受け入れ、身の回りのお世話、被災地との連絡調整、傾聴など精神面のケアなど行政を補完する役割を担っていきたいと考えています。
岩手県北上市に本部を置き、盛岡、花巻など内陸部の主要都市に順次、支部組織を設置する予定です。私たちはお互いの顔が見える息の長い支援を目指しています。もう、いても立ってもいられない───そんな思いを抱く多くの人々の支援参加をお待ちしています。
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