2024年 4月 20日 (土)

「3.11」鎮魂と祈りの日【岩手・大槌町から】(37)

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追悼式で献花する参列者=2014年3月11日、大槌町役場多目的会議室
追悼式で献花する参列者=2014年3月11日、大槌町役場多目的会議室

   震災から3年の2014年3月11日。1,284人が犠牲になった大槌町は深い悲しみに包まれました。


   「大槌町東日本大震災津波追悼式」が町役場多目的会議室で開催されました。地震が起きた午後2時46分に参列者全員で黙とうを捧げ、碇川(いかりがわ)豊町長が「悲しみの中でも、町民一丸となって希望の大槌を築き上げていきたい」と式辞を述べました。両親と弟を亡くした建設会社経営、岩間公人さんが遺族を代表してあいさつしました。献奏、献歌があり、大槌町出身の台隆裕さんがトランペットで「ふるさと」を演奏しました。式典が終わった後、参列者による長い献花の列ができました。

追悼式で式辞を述べる碇川豊町長=2014年3月11日、大槌町役場多目的会議室
追悼式で式辞を述べる碇川豊町長=2014年3月11日、大槌町役場多目的会議室
遺族を代表して追悼の辞を述べる岩間公人さん=2014年3月11日、大槌町役場多目的会議室
遺族を代表して追悼の辞を述べる岩間公人さん=2014年3月11日、大槌町役場多目的会議室
トランペットで献奏する台隆裕さん=2014年3月11日、大槌町役場多目的会議室
トランペットで献奏する台隆裕さん=2014年3月11日、大槌町役場多目的会議室

   追悼式に先立って、この日の朝、旧役場庁舎前で、町の幹部による慰霊祭が執り行われました。旧役場庁舎では、当時の加藤宏暉(こうき)町長を含めた職員40人が津波で犠牲になりました。碇川町長は犠牲になった一人ひとりの名前を呼び上げ、「皆さんに大槌を頼むよ、と背中を押されている思い。一日も早い復興に取り組んでいく」と語りかけました。

旧役場庁舎前で黙とうする町の幹部職員=2014年3月11日、大槌町役場多目的会議室
旧役場庁舎前で黙とうする町の幹部職員=2014年3月11日、大槌町役場多目的会議室

   夕方には、町民有志がローソクに灯をともし、犠牲者の霊を慰めました。町役場駐車場に500本のペットボトルが並べられ、その中のローソクに次々に灯がともされると、「3.11」の文字が浮かび上がりました。安渡地区では、子どもたちが、「天国に届け」と、犠牲になった肉親への手紙をつけた風船を夜空に放ちました。

ローソクの灯に浮かんだ「3.11」=2014年3月11日、大槌町役場多目的会議室
ローソクの灯に浮かんだ「3.11」=2014年3月11日、大槌町役場多目的会議室
●遺族代表、岩間公人(きみと)さん(50)の追悼の辞抜粋
「3年前、逃げ延びた高台から見た町の光景は、生涯忘れることはできません。震災の夜は一睡もできず、いま自分にできることを考えました。翌日から、がれきの海に救助のための道を切り開く作業を始めました。両親と弟の行方はわからなくなり、1か月後、父と弟が発見されました。3人が一時期、同じ場所に安置されていたことを知ったのは、母がお骨で帰ってきた時でした。親不孝な私は作業を休みませんでした。休みたくなかったです。一人でも多くの方をご家族のもとおかえしすること。それがわれわれのやる仕事だったのです。復興の遅れや用地への不満の声が聞こえてくる毎日ではありますが、行政がする町並みを復興する事業に、われわれ被災者が気持ちをそろえて協力することで、ハードとソフトのバランスがとれて住みよい大槌の復興が早まると信じています。私たち一人ひとりが、一歩でも半歩でも前を向いて生きていかなければならない。親孝行ができなかったが、自分らしく生きることが親に対する恩返しだと思っています」

(大槌町総合政策課・但木汎)


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