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「NHKスペシャル」で15分にわたり厳しい追及 理研・笹井氏自殺に影響はあったのか

   理化学研究所(理研)の発生・再生科学総合研究センター副センター長で、STAP細胞論文の共著者の笹井芳樹氏が2014年8月5日に自殺した。理研はこの日開いた会見で、首をつっていたこと、現場で遺書が3通発見されたことなどを明かした。

   論文の疑義が明らかになってから、笹井氏はスキャンダルめいた報道も含めて糾弾されてきた。とりわけ7月27日に放送された「NHKスペシャル 調査報告 STAP細胞 不正の深層」は、特に笹井氏とSTAP細胞の研究との関わりについて厳しく取り上げたものだった。

「東京は雪で、寒々しております」小保方氏に送ったメールも公開

笹井副センター長(14年4月撮影)
笹井副センター長(14年4月撮影)

   番組は、多くの専門家らに話を聞きながら「研究不正の深層に何があったのか」に迫った。

   放送開始から24分経過した頃、「エリート科学者 問われる責任」と題されたパートが始まった。

   小保方晴子ユニットリーダーは12年4月から、英ネイチャー、米セル、米サイエンスと名だたる科学雑誌にSTAP細胞論文を投稿したが、「全体的にプレゼンテーションのレベルが低い」「ES細胞が混ざっているのではないか」などと専門家に指摘され、掲載されなかった。

   ところが12年12月に笹井氏が論文作成に加わってから事態が一変した。小保方氏に画像やグラフの作成を次々と指示し、4月に投稿した論文から40近くも増やした。13年3月にネイチャーに投稿した論文には、編集部から「審査した専門家も編集部も大きな可能性を感じています。いくつかの問題に答えられれば掲載を検討します」との連絡があったという。

   番組では小保方氏と笹井氏がやり取りしたメールの内容まで紹介していた。笹井氏からは「小保方さん 本日なのですが、東京は雪で、寒々しております」「小保方さんとこうして論文準備が出来るのを、とても嬉しく楽しく思っており、感謝しています」といったメールが送られていたようだ。

「インタビューには応じられない」と笹井氏本人からNHKにメールも

   番組では専門家とともに問題の論文を検証した。大阪大学の仲野徹教授は、「やっぱり笹井さんの論文の書き方が上手いでしょうね。サポーティングなデータをドカーンと入れて、弱いデータを補強するような感じの論文にはなってますよね。そこらへんはやっぱりこう、手だれというか、論文作成の能力というか技術はすごいですね」と評価した。

   一方、140あまりの画像やグラフの7割以上に何らかの疑義や不自然な点があるとも指摘。「笹井さんぐらいになったらやっぱりねつ造データで論文を書いたら自分のそれまでの業績も駄目になるのはわかっておられるでしょうから、そこは知ってたということはまずありえないでしょうね。疑ってもいなかったでしょうね、多分」と、笹井氏は気付いていなかったのでは、とみていた。

   ただ、細胞が万能性を獲得したことを直接証明する「TCR再構成」という細胞についての詳しい記述は論文中になく、九州大学の中山敬一教授からは「何でこのデータを調べないのか、何で徹底的に調べればわかることなのにやろうとしないのか」。徳島大学の高濱洋介教授も「動物(STAP細胞から作られたマウス)ができたということは示されていないということを主な著者たちが知っているんだとすれば、このストーリーそのものがもう成立してないんですよね。もう1回ちょっとしっかりやり直そうよということになると思います、通常は」と、著者らの詰めの甘さを指摘するような場面もあった。

   この件についてNHKは笹井氏にインタビューを申し込んだが、「インタビューには応じられない」として、代わりにメールで回答が寄せられたという。「少なくとも3人の(ネイチャー)査読者は、不十分だとは思わなかったということは言えます。TCR再構成のデータは他の多くのデータの1つであり、それだけで初期化を立証しようという論旨にはなっていません」と書かれていたそうだ。

   このほか、神戸市医療産業都市推進本部の三木孝前本部長、理研の自己点検検証委員会の鍋島陽一委員長らに聞いた話も加え、笹井氏に関する内容は15分以上にわたって放送された。

   36歳の若さで京大医学部教授となり、日本の再生医療プロジェクトを率いてきた笹井氏――だが、STAP細胞問題では一転、責任を問われる立場となり、6月に発表された第三者委員会の報告書では、「自らの職責を果たさなかった」「成果主義に走るあまり、真実の解明を最優先として行動する、という科学者として当然に求められる基本を疎かにした」と断罪され、「エリート科学者」としての栄光の過去が大きく揺らいでいた。

   理研によると、このところ笹井氏は「疲労困憊(こんぱい)。心身ともに疲れていた」という。そういう時期に、笹井氏がかなり主体的に論文作成に関わっていたとする厳しい内容の番組が放送され、結果論だが笹井氏がさらに精神的に追い詰められる一因になった可能性は否めない。

   理研は14年8月5日の会見で、遺族の了解が取れた上で公共性が高いと判断された部分について、遺書を公開する考えも示している。自殺の理由や論文問題で明らかになっていない部分についても、今後少しずつわかってくるかもしれない。