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眞鍋かをりと結婚した48歳のオッサンは誰? 「俺の知らん奴と結婚するな!」と悲鳴も

   眞鍋かをりが48歳のおっさんと出来婚したらしい――眞鍋さんが結婚と妊娠の報告をブログで行った際、お相手について「吉井和哉って誰?」といったツイートや掲示板への書き込みが大量に出ることになった。かつて一世を風靡したボーカリストなのだが、特に10代、20代といった若者には馴染みがないらしい。

   2人の交際が発覚したのは3年ほど前だが、同棲はしていたもののなかなか結婚に踏み切れなかったようだ。果たして、吉井さんとはいったいどんな人物なのだろうか。

  • 眞鍋さんのお相手は、かつて一世を風靡したボーカリスト(写真は2012年5月撮影)
    眞鍋さんのお相手は、かつて一世を風靡したボーカリスト(写真は2012年5月撮影)
  • 眞鍋さんのお相手は、かつて一世を風靡したボーカリスト(写真は2012年5月撮影)

眞鍋さんは中学時代からイエモンのファン

「かねてよりお付き合いしておりました吉井和哉さんと結婚し、現在新しい命を授かっていることをご報告させていただきます」

   眞鍋さんが自身のブログで報告したのは15年6月26日未明だった。ネット上では、

「吉井和哉って誰だ?俺の知らない奴とくっつくなんて言語道断や!」
「わからなすぎて検索したけど やはり誰おまだったww」
「元イエモンが通用しないひとには 加藤鷹に似てるシンガーだって教えてあげて」

などといったツイートが飛び交った。ロックバンドの元「THE YELLOW MONKEY」(イエモン)のボーカルだという説明にハッとする人もいれば、ソロ活動では「YOSHII LOVINSON(吉井・ロビンソン)」を名乗っていたため気が付かなかった、などと感想を述べる人もいた。

   吉井さんは、1988年に「イエモン」を結成し92年にメジャーデビューした。吉井さんは「イエモン」で作詞作曲プロデュース、ボーカルを担当。コンサート会場は満員になるもののCDが売れないという時代が続いた。95年頃から従来のマニアック路線を変更したあたりから人気が急上昇し、CDでは「太陽が燃えている」「JAM/Tactics」「SPARK」などのヒット作を連発させた。そしてイエモンは2004年に解散し伝説のバンドとなり、吉井さんはソロ活動に入る。

   2015年6月26日放送のフジテレビ系情報番組「とくダネ!」では2人の結婚の特集を組み、キャスターの小倉智昭さんは前日の25日に眞鍋さんと面会した事を明かし、

「体重が5キロ増えていて、あの細い体のお腹がポッコリしているのが分かるんですよ」

などと語った。眞鍋さんは中学時代からイエモンのファンで、交際が始まったのは11年秋頃から。たまたま一緒に食事をする機会があり、意気投合したのが交際のきっかけだった。12年2月24日発売された「フライデー」で熱愛が発覚し、当時の「とくダネ!」に生出演した眞鍋さんは、

「凄いパワフルなところがいいなと思って。年の差もあって、大人の方なので、広い器で・・・」

などと交際を認め、のろけた。ただし、この時は結婚するかについては明言を避けた。

同棲していても結婚に踏み切れなかった理由とは

   小倉さんは15年6月26日の「とくダネ!」で、真鍋さんの結婚、妊娠発表は、

「もっと早く発表したかったのではないか」

とも語った。

「(吉井さんには)前の奥さんとの子供がいて、交流もあり、大変上手くいっているので、先方を気にしていたのではないか」

   吉井さんはイエモンのデビュー当時に結婚していて、1995年ごろに第一子が誕生し、前妻との間には4人の子供がいる。実は、吉井さんが離婚しているのが分かったのは12年2月に眞鍋さんとの熱愛が発覚した事からで、離婚の原因については吉井さんの浮気とも報じられているが、事実はよく分かっていない。報道などによれば、離婚後は吉井さんだけが家を出て、子供と元妻は同じ家に暮らしている。養育費などは吉井さんが出しているという。吉井さんは子煩悩で、子供の学校の行事には進んで出席していた。大ヒット曲「JAM」の歌詞「君に逢いたくて」は娘に宛てたもので、当時、あまり家にいてやれない苦しみを綴ったというのは、ファンの間では有名だ。小倉さんによれば、今でも吉井さんと元家族のつながりは強く、吉井さんと眞鍋さんは前から同棲していたものの結婚に踏み切れずにいた。吉井さんについて小倉さんは、東京ドームを満員にする人気者であり、歌もうまいし作る曲も素晴らしい、とベタ褒めし、

「正式にこういう発表ができて『父親』として嬉しいなと」

と喜んだ。小倉さんは「眞鍋さんの芸能界の父親」なのだそうだ。

「本当に憧れの人と一緒になったんだから、こういうのはなかなかないでしょ」

などと眞鍋さんを祝福していた。