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「問題を病院に押し付けるのが今の日本社会」 青年の死から考える精神医療の現状

【ハートネットTV】(Eテレ)2017年12月12日放送
「ある青年の死」

   入院していた精神科病院でスタッフから暴行を受け、2年後に寝たきりの状態で亡くなった陽さん(享年36)。2017年3月に元病院スタッフにくだされた一審判決は暴行罪で、死亡との因果関係は認められなかった。

   家庭内で暴れるなどして入院したが、個人を尊重されないような扱いを受けたことも明らかになった。陽さんの死から、精神医療の現状をみつめた。

「治療は早い方がいい」と精神科病院へ

   「スポーツマンで、勉強もよくできた。みんなの前でおどけるようなところもありましたけど、どっちかというと口数は少ない。男女ともに幅広く友達もいた」

   幼馴染の増田英貴さんがそう評した陽さんは、1997年、東京の大学に進学し一人暮らしを始めた。サークル活動やアルバイトで友人に囲まれていたが、2年生の頃に突如引きこもりに。両親が実家に連れ戻した。

   父の文明さん「抜け殻のような、自信喪失したような。会話の中でも『自分はマイナス思考で行くんだ』などと言っていた。原因はわからないんです」

   治療するなら早い方がいいと思った文明さんは、精神科病院へ連れて行った。2001年9月にうつ病と診断され抗うつ剤を処方されたが、飲み始めてから近所で見ず知らずの人に突然暴力をふるった。

   病院は統合失調症の可能性を疑い、新しい薬を処方した。それを飲むと今度は体が曲がったまま硬直して緊急搬送された。副作用が原因と告げられ、代わる代わる新しい薬が試された。陽さんの首はあごが胸に付く状態に変形し、会話もずれるようになった。

   当時の薬の処方は正しかったのか。病院には取材を断られたが、第三者の精神科医・高木俊介氏がカルテを確認した。

   高木氏「使っている薬自体は決して多くはないし選択も悪くないけど、残念ながら今の抗精神病薬は、常識的な量でも時としてこのような副作用が出ることがある。抗精神病薬をやめてみる選択肢が治療の中になかったように思う。そこが残念。もしかしたら副作用をさらに悪化させていったかもしれない」

   日本では精神障害の治療を薬に頼る傾向が強い。戦後、日本は国の施策と世論の後押しで精神科病院を増やしてきた。結果、精神障害者を支えるのは病院の役目という構図が作られた。

   高木氏「精神障害者に対するお付き合いの作法をなくした社会。身の回りに突然幻覚や妄想があって一人でしゃべっている人がいたら、誰も彼もどうしたらいいかわからなくなっちゃう。だから精神病院に、専門家に行こう、となる。問題を全部病気のせいにして治療の対象にしてしまう。精神科には薬があるので、医者のもとに連れてきたら医者は薬を出すしかない。そういう構造が日本の社会に出来上がっちゃってる」

知り合い少ない町へ引っ越すも...精神状態悪化

   首の状態が改善しないまま退院し、幼馴染の増田さんとは何度か会ったが、付き合いが減った友人もいた。

   文明さんは陽さんのためと思い、知り合いの少ない新たな町に引っ越した。

   文明さん「変な人がいると言われない場所がいいと思った。そういう烙印を押されると一生つきまとう。それが怖かった」

   しかしその決断が陽さんのわずかな友人関係を途絶えさせてしまう。陽さんは大学時代の写真を眺めては「僕の周りから人がいなくなっていく」とこぼしたという。

   文明さん「本来ならそういう人(友人)に連絡すべきだと思うんですけどね。やっぱり息子のことで頭がいっぱいだったのかな。友達と会話でもさせていれば少しは改善したかもしれない」

   陽さんの精神状態は日に日に悪化した。ふいに外出して行方不明になり、深夜2時頃東京の上野警察署で保護された日もあった。入浴を2~3か月しなくなり、家中が臭くなった。コーヒーカップや皿を投げ、そこら中を汚し、素足で外に飛び出して失禁した。

   2011年9月、家で暴れた陽さんは精神科病院に入院。興奮状態で、入院と同時に全身を拘束された。

   拘束は2か月続き、陽さんは激しく抵抗した。拘束が解除されると、他の患者から隔離されて過ごした。

他の病院で働く看護師も「他人事と思えない」

   暴行事件が起きたのは2012年1月1日だった。16時7分に看護スタッフが陽さんの病室に入り、おむつ交換の準備のためズボンを脱がされ、そのまま食事を与えられた。食事を終えるとすぐに陰部を拭かれ、おむつを交換された。全てのケアを終えたスタッフが部屋から出ていくまでにかかった時間は10分にも満たなかった。

   病院への取材は係争中のため断られたが、匿名を条件に取材に応じた元職員によると、陽さんのケアを行ったスタッフは、人の嫌がる仕事を買って出る働き者として知られていたという。

   別の精神科病院で働く看護師からも、他人事と思えないとの声が上がった。

   「さっさと終わらせようってのはあります。さっさと食事を食べさせて、これでおしまいね、って言うことはあります」

   「ゆっくり時間をかけて、患者の状況に合わせながら対応できればいいんでしょうけど、日勤から夜勤に切り替わるのに作業を引き継ごうとすると、対応する人数が減るので、介護抵抗の強い方の介助ができないんですよ。その患者さんとばかり関わるわけにいかず、日勤でできることは済ませておくという考えは働くと思います」

   精神病床の人員配置の最低基準は、医師が一般病床の3分の1、看護師が4分の3だ。人手不足の現場では、患者の気持ちより他のスタッフへの気遣いが優先されるとの声もあった。

   暴行から2年後、寝たきりになっていた陽さんは転院先の病院で亡くなった。暴行と死亡との因果関係はこれから再び裁判で争われる予定だ。

   文明さんは陽さんをどう支えたらよかったのか、今でも悩み続けている。

   文明さん「最善の道だと思ってやった行動が結果的によくなかった。そして死という現実が出た」

   高木氏「親御さんとしては精一杯心配して、少しでもいい医療を受けさせようとした。今の仕組みの中では最善のことをやっているはず。でもそんな危うい最善しかなかった。現状では一番真っ当なことをしたと思います。でも結果は最悪だった。誰も悪くないけど、皆が責任がある社会ということかもしれない」

   陽さんは亡くなる前、見守る家族を前に「僕の人生、どうしてこうなっちゃったんだろう」とつぶやいたという。