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レースクイーンから日産取締役に 異色の経歴に「びっくりした」「撮影したなぁ!」

   日産自動車が臨時取締役会を開き、カルロス・ゴーン容疑者の会長解任と、取締役であるゴーン氏とグレッグ・ケリー容疑者の代表権を解くことを全会一致で決めた。

   会長の後任人事については、社外取締役の豊田正和氏、井原慶子氏、ジャンバプティステ・ドゥザン氏による委員会が、現取締役の中から候補者を提案する。「ポスト・ゴーン」が誰になるか話題になっているなか、社外取締役のひとり、井原氏の経歴も注目されている。

  • 『崖っぷちの覚悟 年齢制限!?関係なし!』
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25歳でレーサーデビュー

   井原氏は、慶応義塾大学大学院メディアデザイン研究科の特任准教授でもあるが、本業はレーシングドライバーだ。また、レーサーになる前には、レースクイーンだった。元経産官僚の豊田氏、ルノー出身のドゥザン氏と比べると、「異色の経歴」と言えるだろう。

   レースクイーンから女性初の国際F3レーサーになるまでは、2010年の著書『崖っぷちの覚悟 年齢制限!?関係なし!』(三五館)につづられている。大学時代にモデル事務所にスカウトされた井原氏は、レースクイーンとしての初仕事で「私もあのすごいレーシングカーに乗ってみたい!」と、レーサーへの夢を抱いた。

   最初は普通免許の取得から。大学の先輩から30万円で譲り受けた「バリバリ走り屋仕様の黒のシルビア」で運転技術を身につける一方で、レースクイーンの現場では、レーサーやメカニックを質問攻めにして、知識も増やしていった。

   そして1999年、25歳でデビュー。レーサーとしては「崖っぷち」の年齢ながら、持ち前の努力を重ね、徐々に結果が出てくる。その後はイギリスやフランスなど、世界各地を転戦。刊行後の2014年には、ル・マン24時間レースで総合14位となり、アジア人女性初の完走を成し遂げた。

「お名前をここで見るとはな」

   井原氏が社外取締役に就任したのは2018年6月。6月17日配信の日本経済新聞電子版によると、17年の秋から冬ごろに日産から打診があり、ゴーン氏と西川(さいかわ)広人社長兼CEOとの面談では、経営のダイバーシティー(多様性)などで助言してほしいとの要望を受けたという。

   すでに就任から5か月ほど経っているが、連日の報道を受けて、初めて知った人も多いようだ。ツイッターには、

「まさか、井原慶子さんのお名前をここで見るとはな」
「井原慶子が社外取締役だったのが一番びっくりした」
「NISSAN取締役の井原慶子ってあのレーサーの井原慶子かよ...」

といった反応とともに、「レースクイーン時代に撮影したなぁ!」などと懐かしむ人もいる。

   ちなみに週刊新潮(5月17日号)で井原氏は、打診時の様子をこう振り返っていた。

「役員室のような部屋でゴーン会長や西川社長と面接したのですが、会長は部屋に入ってくるなり、『慶子の経歴は知っているよ』と握手をしながら仰って。堅苦しくないフレンドリーな感じが印象的でした」