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9月12日は「マラソンの日」だけど... なぜ「42.195km」という中途半端な距離?

   本日、9月12日は「マラソンの日」。なぜかといえば、その歴史は紀元前にまでさかのぼる。

   紀元前450年9月12日、ギリシャ・アテナイ(アテネ)の名将ミルティアデスが、ギリシャのマラトンに上陸してきたペルシアの大軍を見事撃退。その勝利の結果をアテナイにいる大老に伝えるため、伝令に選ばれた兵士・フィディピデスが、マラトンから約40km離れたアテナイまで走り抜き、アテナイ郊外で「我勝てり」と告げた後、力尽きて絶命したと言い伝えられている日なのだ。

  • 1908年ロンドン五輪マラソン。イタリア代表のドランド・ピエトリ選手は首位でスタジアムに入るも昏倒。周囲の助けを借りながらゴールしたが、失格となった(Wikimedia Commonsより)
    1908年ロンドン五輪マラソン。イタリア代表のドランド・ピエトリ選手は首位でスタジアムに入るも昏倒。周囲の助けを借りながらゴールしたが、失格となった(Wikimedia Commonsより)
  • 1908年ロンドン五輪マラソン。イタリア代表のドランド・ピエトリ選手は首位でスタジアムに入るも昏倒。周囲の助けを借りながらゴールしたが、失格となった(Wikimedia Commonsより)

最初の五輪マラソンは「約40km」だった

   このギリシャでのペルシア戦争のなかで行われた「マラトンの戦い」が、マラソンの日の由来とされている。そして、マラソンはマラトンの英語読みだ。

   1896年、アテネで第1回オリンピックが開催されるにあたって、この故事を偲び、マラトンからアテネ競技場までの競争が加えられ、ここで初めてマラソンが正式な競技として行なわれた――と、ここまでは、雑学本などでもよく紹介される話だ。

   では、その距離はどうか。実は、その当時は距離が「約40km」とアバウトだった。にもかかわらず、なぜ今では42.195kmとキリの悪い数字になったのか、国際マラソン・ディスタンスレース協会のウェブサイトなどを参考にして、解説しよう。

   初めて42.195kmのコースを走ることになったのは、1908年の第4回ロンドン大会。

   なぜこの距離になったのかというと、一説にはこのときの英国のアレクサンドラ王妃から「スタートは王室の子どもたちの部屋から見えるように宮殿の庭にして、ゴールは競技場にある王妃が座るロイヤルボックス席の前に設置するように」とのリクエストがあったことからとも言い伝えられている。

   この王妃のひと言で決められたマラソンの走行距離は、ロンドン大会の16年後に公式競技距離に採用され、100年以上経ったいまでも受け継がれている。

   この正式決定までは、様々な距離で行なわれていて、そのうち最長だったのが1920年アントワープオリンピックでの42.750kmと言われている。

120年でタイムは××分縮まった

   このロンドンオリンピックが残した影響は、もう一つある。出場選手の成績不振に失望したイギリス人が、同じコースを使って毎年ポリテクニックマラソンを開催するようになったことだ。

   この大会名は、主催クラブの名前に由来しており、1909年の第1回大会以来、1996年の終焉まで多くの世界最高記録更新の舞台となった。この大会の実績が、ロンドン五輪の「42.195km」が踏襲される決め手にもなった

   ちなみにオリンピックマラソンとボストンマラソンを除けば、第2次世界大戦前に始まった大規模大会は、ほとんどないが、1924年に創設されたスロバキアのコシツェマラソンは現在でも開催されており、ポリテクニックマラソンからヨーロッパ最古のマラソンの座を引き継いでいる。

   ちなみに第1回アテネ大会では、地元ギリシャのスピリドン・ルイス選手が優勝。今よりも若干短かったコースでのタイムは、2時間58分50秒だった。

   現在の男子の世界記録は、エリウド・キプチョゲ(ケニア)選手の2時間1分39秒。

   ルイス選手の記録と比べると、この120年間で1時間近くタイムが短くなっている。

   いずれ、2時間を切る選手が出てくるのか、人間の運動能力の限界は底が知れない。