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「平成最強横綱」は白鵬なのか? 曙、貴乃花、朝青龍...名力士と比較した

   大相撲の横綱白鵬(34)=宮城野=が、2019年11月に行われた九州場所で43度目の優勝を果たし、自身の持つ優勝記録を更新した。8割を超える勝率を誇り、優勝回数をはじめとし、数々の記録を塗り替えてきた白鵬。これまで重ねてきた記録をみれば、白鵬に「平成の大横綱」の称号を与えることに異論はないだろう。その一方で平成最強かといえば議論の余地があるだろう。

   元号が平成に移ってから10人の横綱が誕生した。平成初の横綱となったのは旭富士。大関を17場所務め、1990年名古屋場所後に横綱昇進を決めた。横綱在位はわずか9場所と短命に終わったが、引退後は親方として横綱日馬富士を育て上げ、協会の理事職を歴任してきた。

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出世力士を多数輩出した「花の六三組」

   平成最後の横綱となったのは稀勢の里だ。大関時代は白鵬と数々の名勝負を繰り広げたが、横綱に昇進後はケガに泣かされた。新横綱として臨んだ2017年大阪場所で賜杯を手にした以降は、途中休場と休場を繰り返し満足な結果を残すことができなかった。今年1月の初場所を最後に現役引退し、現在は荒磯親方として後進の指導に当たっている。

   平成初期の角界をけん引したのが、曙、貴乃花の両横綱である。曙と貴乃花は昭和63年大阪場所で初土俵を踏んだ同期で、「花の六三組」と称されるほど出世した力士が多かった。そのなかで曙は驚異的なスピードで出世し、ライバル貴乃花よりも約2年早く横綱に昇進。外国出身力士として初の横綱誕生となった。

   各界のプリンスとして入門当初からメディアの注目を浴び、実兄・若乃花とともに「若貴時代」を築き上げた貴乃花。横綱昇進では曙に後れを取ったものの、横綱になってからの貴乃花は安定した強さを発揮した。横綱昇進後の3年間は、休場した場所以外ではほぼ優勝争いに加わり、11度の優勝を成し遂げた。土俵に上がっての黒星は3年間で27個だった。

「曙・貴乃花時代」から朝青龍「一強時代」へ

   幕内優勝回数をみると、曙は11回、貴乃花は22回と、白鵬の43回には遠く及ばない。この事実は、同時期に強力なライバルが存在したことを物語っている。曙が横綱に昇進した1993年1月から98年までの6年間で、曙と貴乃花以外で賜杯を手にした力士はわずか4人だけしか存在しない。

   当時は大関以下にも実力者が顔を揃えていた。若乃花(98年5月場所後に横綱昇進)、貴ノ浪、武蔵丸(99年5月場所後に横綱昇進)ら大関陣をはじめとし、後に大関となる魁皇、武双山らが番付上位にいた。さらに二子山部屋には、貴闘力、安芸乃島らがおり、曙にとっては二子山部屋勢との戦いでもあった。現在の角界と単純比較は出来ないが、当時は上位陣を脅かす多くの実力者が存在していた。

   2000年に入り、「曙・貴乃花時代」が終焉を迎えると、朝青龍の「一強時代」が幕を開ける。朝青龍は2002年九州場所で幕内初優勝を飾ると、優勝争いの常連となり、04年から05年にかけて12場所中11度の優勝を果たしている。そのうち4度が全勝優勝で、05年の年間6場所制覇は史上初の偉業だった。

朝青龍は土俵外での問題行動が引退の引き金に...

   朝青龍は25度、幕内で優勝している。当時の角界では朝青龍の実力が突出していたことは確かだが、長らく一人横綱として君臨し強力なライバルが不在だったことも「一強」につながった要因のひとつだろう。ただ朝青龍に関しては土俵上のマナーや、土俵外での行動が問題視されることが多く、土俵外での問題行動が引退の引き金となった。

   曙、貴乃花、朝青龍のいずれも平成を代表する横綱である。貴乃花は引退後、現役時代の功績が認められ協会から一代年寄を授与された。貴乃花は現役時代、テーピングを嫌い、よほどの負傷でない限りテーピングやサポーターの類は使用しなかった。最後は喧嘩別れのような形で協会を去って行ったが、力士としては「平成の大横綱」であることに間違いないだろう。

   前人未到の幕内優勝回数を誇り、白鵬がこれまでに塗り替えてきた様々な記録は、平成だけはなく歴代横綱の中でも群を抜く。その一方で土俵上の振る舞いや取り口に関して、品格を問われることが多い横綱でもある。「心・技・体」を持ってして最強とされる横綱。白鵬は真の最強横綱になることが出来るのだろうか。大相撲初場所は2020年1月12日に両国国技館で幕を開ける。