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中国・武漢の御用新聞『長江日報』 新型コロナ報道で買った市民の反感

   中国における新型コロナウイルス肺炎関連の情報は、2020年3月に入り、武漢を除いてあまり目立たなくなった。3月5日現在、新型肺炎にかかった患者数は中国全土で2万7413人。治療が終わって退院する人が5万0027人と、治癒した人のほうがずっと多くなっている。

   一方で、2月半ばまで、新型コロナについての情報は、その発生源とみられる武漢地元の新聞である『長江日報』からほとんど発信されなかった。武漢に記者を派遣した北京のメディア『財新』、上海メディア『第一財経』、さらに武漢に在住している作家の方方氏の日記などが、武漢関係の情報の出所となっているのだ。

  • 北京では地下鉄に乗る前にすべての人の体温を測る。人との距離もできるだけ1メートル以上に空けるようにしている(3月4日撮影)
    北京では地下鉄に乗る前にすべての人の体温を測る。人との距離もできるだけ1メートル以上に空けるようにしている(3月4日撮影)
  • 北京では地下鉄に乗る前にすべての人の体温を測る。人との距離もできるだけ1メートル以上に空けるようにしている(3月4日撮影)
  • 北京の老舗レストランの東来順。春節以降、ホールでの営業は一切なく、デリバーするか買って帰るか客はそれしか選択できない(3月4日撮影)

閉鎖中も「武漢市長をもっと暖かく見守ろう」

   武漢でもっとも影響力が大きい日刊紙『長江日報』(バイドゥの調査では発行部数約26万部)は、1月20日まで新型コロナ関連の情報をまったく伝えなかったうえ、1月23日から武漢が閉鎖される中で、独占的に武漢の情報を伝えることができたのに、そのような情報も皆無だった。

   『長江日報』は、常に地元政府の行動の正当性を大々的に宣伝し、武漢市共産党委員会書記の発言、さらにその書記の指導のもとで、武漢市長の行動などをポジティブに取り上げ、広報記事を作成していた。

   1月23日から武漢市は閉鎖され、その前に500万人の武漢の人はいそいでその他の都市に逃げ込み、武漢以外では相当の差別を受けている。一方、市内に滞留している900万人は、感染の危険をさらされるだけでなく、まったく外出できず、家を出てもバス、地下鉄が使えない、不便窮まる生活に余儀なく強いられている。

   その中で2月11日に『長江日報』はこんなタイトルの記事を公表した。

「新型コロナと勇敢に戦い、武漢市長をもっと暖かく見守ろう」

   記事の内容は、武漢の周先旺市長は世論からのプレッシャーを受けながら、いつでも罷免を甘んじて天下に謝る気持ちでおり、高い地位にいながら新型コロナと戦い、武漢を閉鎖する英断をくだした、というもので、使えるほめる言葉を羅列した。

   しかし、1400万人の武漢市民で『長江日報』の論調に賛同する人は、はたしていただろうか。

患者の遺書も一部隠蔽し、「報国」を強調

   新型肺炎で亡くなった人のほとんどは、家族に見送られることもなくすぐ荼毘された。その中には、存命中に献体を表明して病因の解明に役立った人もいた。

   その一人、47歳の患者の肖賢友氏は2月12日、いよいよ最期と感じて遺書を書いた。

「我的遺体捐国家。我老婆呢?(遺体を国に献体する。かみさんは?)」

   翌13日に肖氏は亡くなった。2月19日に『長江日報』は遺書の写真をつけて記事を出して、

「ぐにゃぐにゃの7文字の遺書、涙をさそう」

と書いた。しかし、取り上げたのは国に献体する趣旨の7文字だけで、死ぬ直前に家族を案じる気持ちは無視した。情報の隠蔽によって1400万人の武漢市民は多大な犠牲を払っているなかで、故意に市民の感情を無視して国に報ずる気持ちを強調する記事は全中国の反感を買っていた。

日本からの支援メッセージ批判に市民も反感

   中国にマスクなどを支援した日本に対して、この支援物資に書かれた長屋王の四言絶句「山川異域、風月同天」は非常に中国人の心を打った。一般社団法人・日本青少年育成協会(本部・東京都新宿区)が1月31日、中国・北京の事務局経由で、湖北省にある湖北高校へ支援物資を送った際に書かれたメッセージだ。

   これは1300年前、当時の有力な日本の皇族・長屋王によって詠まれた漢詩で、「山河は違えど、同じ風が吹き、同じ月を見る」という意味だ。鑑真和尚がそれを読んで日本に行く決心をしたといわれ、中国人は今日でもそれを読んで日本からの暖かい気持ちを非常に感じる。

   しかし、『長江日報』は違った。2月12日の同社の論評記事はこんなタイトルだった。

「風月同天と武漢頑張れ、アウシュビッツの後、詩を書くことは残忍」

   趣旨は、武漢はこんな悲惨な毎日を送っているなか、何が「風月同天」か、武漢頑張れしか受け入れられない、というものだった。

   武漢在住の作家、方方氏は、13日に「長江日報に感謝する。これほどみんなが快く批判し、罵るチャンスはない」というタイトルで書いた日記を公開した。方方氏は、加えて

「(2月7日に)李文亮医師が亡くなり、上海の新聞さえトップページで彼を追悼したが、あなたたち(長江日報)は李医師の病院から一尺の距離もないのに、あなたたちはどんな紙面を作ったか。武漢人としてはいずれそれを検証するが、心の中では我慢している。ほかについては批判できないが、あなたたちのこの報道にはいくら罵ってもいいのよ」

と書いた。

   『長江日報』は、地方紙による地方権力へのごますり、情報隠蔽の協力、的外れの報道の典型といえる。

   2月13日に湖北省書記と武漢市書記はともに罷免され、その後、同紙の紙面は変わり、3月以降、全中国からこのような注目を受けなくなっている。

(在北京ジャーナリスト 陳言)