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福島第一原子力発電所で働く所員のエネルギー源 温かい「食」を支える人たちの熱意

提供:東京電力ホールディングス

   東京電力福島第一原子力発電所には現在、新事務本館、大型休憩所、協力企業棟それぞれに食堂があり、廃炉作業に従事する社員や作業員のために食事を提供している。

   食事は、大熊町大川原地区にある「福島給食センター」で調理され、車で30分ほどかけて日中4回、夕方1回運ばれる。調理・配膳を担当する「福島復興給食センター株式会社」社長・渋谷昌俊さん、食堂で配膳を担う同センターマネージャー補佐の廣崎真裕美さん、温かい食事をエネルギーに現場の業務に携わる東京電力ホールディングス株式会社福島第一廃炉推進カンパニー廃炉リスクコミュニケーター・二本柳鑑さん、それぞれの思いを聞いた。

  • 大型休憩所の食堂で食事する人たち(2018年4月撮影)
    大型休憩所の食堂で食事する人たち(2018年4月撮影)
  • 大型休憩所の食堂で食事する人たち(2018年4月撮影)
  • メニューのひとつ。「赤の他人丼」と「切干大根サラダ」
  • 大熊町大川原地区にある「福島給食センター」
  • 給食センター内の作業を写真で説明する渋谷昌俊社長
  • 新事務本館の食堂で勤務する廣崎真裕美さん
  • 作りたての食事は「非常に感動しました」と笑顔で振り返った二本柳鑑さん
  • 食堂で使われている食器とメニューの一部を紹介する渋谷社長

地元で働きたい、復興に貢献したい人たちが応募

   震災後、福島第一原子力発電所に食堂がオープンしたのは2015年4月。これに先立つ2014年9月9日、大手給食会社である日本ゼネラルフード(名古屋市)が中心となり、福島復興給食センター株式会社が設立され、渋谷さんが社長に就任。「就任前は、愛知県で1日2万食を作る弁当工場の経営をしていました」。福島第一原子力発電所内で調理はできない。センターで給食を用意し、運搬する。弁当工場でも「同じような経験があった」ことを生かし、渋谷社長が陣頭指揮を執ることになった。

   苦労したのは求人だ。当時、大熊町をはじめ周辺の自治体は避難指示が全面的に解除されておらず、近所に住民がいない。いわき市で募集を始め、会社説明会の様子を地元のテレビ番組や新聞記事で紹介してもらうなどした結果、最終的には186人の応募者を集めることができた。大半は、飲食業は未経験だったが、地元で働きたい、復興に貢献したいと熱意にあふれていた。大熊町や双葉町を中心とした浜通り地域の出身者も多く集まった。

   開業時は500食。開業前からセンターでは調理や配膳の研修をみっちり行い、例えばごはん500食分を盛り付ける際の正確な量やスピードアップといった技術を社員に習得してもらった。最も重要な衛生面は妥協せず管理する。渋谷社長がマネージャーをトレーニングし、そこから現場の社員の教育と人材を育てていった。2~3か月後には1500食の準備が必要になったが、力を合わせて対応していった。


「おいしかった」「ありがとう」がやりがいに

   ハンバーグに豚天丼、チャーシューメン、赤魚のみそ焼き――。献立表には、お腹を十分に満たすであろう食事が多く並んでいた。多彩なメニューに共通して使用されているのが、福島県産の食材だ。

「コメは初めから100%福島県産を使っています。ほかに豚肉、野菜はキャベツにネギ、モヤシ、魚は県漁連の協力を得て小名浜のもの。うどんやラーメンの麺もそう。それから...」

   渋谷社長が次々と品目を挙げる。「カレーはこだわっていますよ。県産の豚肉にタマネギは3種類、カレールーは2種類をブレンドします」。季節に応じたメニューや、「なみえ焼そば」のような地元グルメ、また2019年はラグビーワールドカップに関連して、ニュージーランドやアルゼンチンといった国の食事を用意するなど、オープン以来毎月フェアを開催し、工夫を欠かさない。

   毎日、日中4回、夕方1回とセンターから調理済みの食事を「食缶」に詰めて車に乗せ、福島第一原子力発電所の食堂に運ぶ。移動時間や食堂での準備時間から逆算し、「1時間後でもおいしく食べられること」を考えて作る。帰りは使用済みの食器を回収して、センターで洗浄する。これを毎日繰り返すため、センターでは2交代制で業務を行っている。

   食堂では、廣崎真裕美さんらが運ばれてきた食器や、食缶を受け取る。作業員が最も多かった時期は2300食、現在でも1600食に上るので相当な量だ。大型休憩所の食堂は朝8時には食器が運び込まれる。ランチタイムを軸とした営業で、加えて大型休憩所と新事務本館は17時30分~18時30分に夕食も提供する。

   廣崎さんは、センター立ち上げ時のメンバーのひとりだ。震災時は広野町に居住し、地元で飲食業に携わっていた。地元の復興に貢献したいと求人に応じ、食堂に配属された。未経験の同僚が多いなか、「既定の分量を正確に盛り付ける」から始まった。冷めないうちに手早く提供する。衛生状態を保つために絶対に常温で放置しない。アルコール除菌を徹底する――。試行錯誤を重ねて衛生・安全管理を最優先に、日々話し合いながら努力を重ねた。現在はマネージャー補佐として、パートや契約社員の仲間たちと共に業務にあたる。

「温かいものは温かく、冷たいものは冷たく召し上がっていただけるよう気をつけています。配る量は正確に。そして、お客さまには明るく元気に対応する。こうした心構えを(同僚に)伝えています」

   何より喜びを感じる瞬間がある。「おいしかった」と声をかけてもらった時だ。

「転勤する社員の人から『今まで温かい食事をありがとう』と挨拶してもらうことがあります。本当にうれしく思います」

と廣崎さん。渋谷社長も「お客さまに『ありがとう』と感謝されるときに、やりがいを感じます」と口をそろえる。


温かい食事で部下や同僚とのコミュニケーションが活発に

   温かい食事が、ありがたい――。二本柳鑑さんは、事故直後から免震重要棟での作業に当たった経験から、そのありがたみを実感している。最初は非常食、その後はパン、そして弁当が支給されるようになった。弁当は温められるが、電子レンジの使用に行列ができ、仕事の忙しさもあって冷たいまま食べることが多かった。だから、食堂が完成して初めて食事した記憶が鮮明に残っている。

「ここで作りたてが食べられるなんて...非常に感動しました」

   食堂による「効果」はもうひとつある。同僚を誘って一緒に食事をしながら会話し、コミュニケーションが活発になった点だ。弁当支給の際は自席で食べることが多く、周りと話すこともなかった。震災前は、部下を連れて食事に行く機会が多かった二本柳さん。食堂の完成で、「いったん消えたコミュニケーションの場が、再びできた」おかげで、業務にもプラスに働いているという。メニューが豊富なのもうれしい。温かい食事と何気ないおしゃべりという「当たり前」を取り戻し、職場の環境は震災前の状況に戻った感覚だと話す。

   食堂以外にも、福島第一原子力発電所の大型休憩所には現在はシャワー室も完備。仕事が終わってしっかりと汗を流すことができ、泊まり込みの場合もゆっくり体を休めることができる環境だ。また、コンビニエンスストアも営業している。事故当時の厳しい状況からは様変わりし、日々の業務を円滑に進めるための労働環境が整えられている。

「食事を作ることで福島の復興に貢献するんだ、という思いでやっています。そして何より、今後も温かい食事を提供することで、作業員の皆さんを支えていきたいと思っています」(渋谷社長)