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「コロナ禍」という言葉はどこから来て、なぜここまで広まったのか

   見出し(タイトル)のとおり、今や報道などで目にしない日のない「コロナ禍」という言葉は、いったいどこで、どのように使われ始め、なぜ広まったのかを、ネットニュース編集者としての見方も交えて考えてみたい。

   まずは、新聞などの記事をアーカイブしている「日経テレコン」のデータベースから見てみよう。

  • コロナ禍という言葉を考察しよう
    コロナ禍という言葉を考察しよう
  • コロナ禍という言葉を考察しよう

先行したのはスポーツ紙から

   「コロナ禍」という言葉は、2020年4月後半(16日~30日)だけで、日経テレコン収録分だけで、実に3162件の記事で見出し、または本文に使われている。種別に見ても、全国紙から専門紙、スポーツ紙、そして雑誌とジャンルを問わない。

   では、この状況はいつから?

日経テレコンより、「コロナ禍」を含む記事の本数。区分けはテレコンの分類に従う
日経テレコンより、「コロナ禍」を含む記事の本数。区分けはテレコンの分類に従う

   さかのぼっていくと、ターニングポイントは2月後半(16日~29日)だ。この間、新型コロナウイルスの流行拡大が、本格的に僕らの生活に影を落とし始めた。国は17日に受診の目安を発表している。

   この期間、「コロナ禍」を使った記事は20件である。そして、そのうち16件がスポーツ紙・夕刊紙だ

佐々木朗希に"新型コロナ禍"直撃...ロッテ、握手やサインなどファンサービス自粛(サンケイスポーツ、16日付)
野球もコロナ禍 OP戦無観客か きょうセパ臨時会議 巨人いち早く決定 29日、3月1日無観客(デイリースポーツ、26日付)
コロナ禍 歌舞伎松竹直営は3・10まで中止(日刊スポーツ、28日付)

   最も早いのはサンスポだが、特に注目は、阪神でおなじみデイリーである。26日付の紙面で、1面トップに上の「野球もコロナ禍」の大見出しを打った。これを追いかける格好で、ほかのスポーツ紙も積極的に「コロナ禍」を見出しに取るように。

   メディアの世界では、「コロナ禍」という言葉はまずスポーツ紙が先行し、一般の新聞は、それを追いかけた――要するに真似した、と言っていい。

   実際に3月後半の時点でも、全国紙(朝日・毎日・読売・産経)の96件より、スポーツ紙・夕刊紙の135件が多い。これが、4月前半には逆転する。

「リング禍」などから連想した?

   テレビでの「コロナ禍」は紙メディアより少し遅れておそらく3月後半ごろから(エム・データなど参照)。ネットニュースも、新聞・雑誌系を除けばそう変わらない(僕が編集長のJ-CASTニュースでは、3月30日が最初だった)。

   Googleトレンドのデータを見ても、「コロナ 禍」の検索件数は、デイリーが1面見出しを打った2月末から、上昇気流に乗っている。

Googleトレンドのデータ。2月末から「コロナ 禍」の検索件数が急増する
Googleトレンドのデータ。2月末から「コロナ 禍」の検索件数が急増する

   ネットも含め、広く一般に「コロナ禍」が広がる起爆剤になったのは、やはりスポーツ紙のようだ。

   しかし、なんでスポーツ紙が?

   スポーツ紙出身の先輩記者に聞いてみると、こんな答えが返ってきた。

「格闘技で、試合中などに起きる事故のことを『リング禍』って言うんです。その世界ではよく使う言葉だから、スポーツ紙の人間なら知ってるはず。それが関係あるのかもしれません」

   「リング禍」という言葉に慣れているから、「コロナ禍」も抵抗なく受け入れられた。十分ありそうな話だ。

   ――が、独自に「発明」したのかというと、そうではない。

   まず日経テレコンで見る限り、「コロナ禍」の一番古い用例が、中国の株価情報などを主に扱う「亜州IR中国株ニュース」で、これが2月12日だ。サンスポより4日ほど早い。さらにツイッターなどでは、1月後半ごろから、「コロナ禍」を含むつぶやきがちらほらと。確認できるのは24日のあるユーザーのつぶやきが最古だ。

毎日新聞の「余録」(2月1日付朝刊)。全国紙でコロナ(ウイルス)+禍という形が使われたのは、これが最初だ
毎日新聞の「余録」(2月1日付朝刊)。全国紙でコロナ(ウイルス)+禍という形が使われたのは、これが最初だ

   また、「コロナウイルス禍」や「新型肺炎禍」という形なら、2月前半あたりから専門紙・業界紙を中心に、数は少ないが使われている。毎日新聞では、朝刊1面のコラム「余録」で早くも1日、

「ついに世界保健機関(WHO)から緊急事態宣言が出た新型コロナウイルス禍である」

あまり流行らなかった「MERS禍」

   そもそも、「病名+禍」という言葉は、実は昔からある。

   2015年のMERS流行の際には「MERS禍」という言葉が新聞各紙で使われている(たとえば「韓国MERS禍1カ月 WHO「医療文化も一因」」(朝日、6月20日付朝刊)。もっともこちらは、MERSが日本にあまり広まらなかったので、あまり記憶に残らなかったけども――。

   古いところでは1959年の西日本新聞で、「水俣病禍」という見出しが(熊本大学付属図書館のデータベースより)。広辞苑には載っていないが、そのまま「病禍」という言葉も、一応ある。

   というわけで、このあたりでいったんまとめれば、

「病名+禍、という表現は昔からあった。新型コロナウイルスの流行でも、同じように『新型肺炎禍』『新型コロナウイルス禍』が専門紙などを中心に使われ始めた。略した『コロナ禍』も自然発生的に誕生、2月後半からスポーツ紙で採用され、これを一般紙も3月から後追い。広く普及した」

   中国語からの影響も考えたいところだが、直接的な痕跡は見つからない。最初期なら可能性はゼロではないが、上の結論は大きく変わらないと思う。

   では、もう一つの疑問だ。「なぜ」、コロナ禍という言葉を、こんなにメディアは一斉に使うようになったのか。

コロナ鍋はまだネタだが、メディアも「コロナ渦」と間違える

   上にも書いた通り、「~~禍」という言葉は確かに、コロナ禍以前からあった。

   では、普通に、一般的に使われていたかと言うと――それはNOだろう。

   証拠に、コロナ禍を「読めない」とか、「書き間違う」といった話題は、たびたび出ている。4月16日には「コロナ鍋(なべ)」という言葉がツイッターでトレンド入りして、ネットニュースにもなった。

   これはまだネタだが、「プロ」のはずのメディアも混同する。たとえば、毎日新聞が5月1日付で載せた記事だ。

「新型コロナ渦で苦戦 逆境はね返す若手漁師」
ウェブ版より。なお、日経テレコンによれば紙面にもそのまま地方版だが載った模様だ
ウェブ版より。なお、日経テレコンによれば紙面にもそのまま地方版だが載った模様だ

   「禍」じゃなくて「渦(うず)」になっちゃっている。海の話題なので、わざと引っ掛けたのかもしれないが......。この「コロナ渦」は、大手メディアのネット版記事でも時々見かける(そして静かに直っている)。

普通なら使いたくない「コロナ禍」

   「コロナ禍」という言葉は字面としてもなじみがないし、ぱっと読めない。自分たちだって間違えるくらいだ。だいたい、語感が固い。こういう言葉は、ネットニュースの編集者として言わせてもらうと、普通なら使いたくない

   ではなんで使うのか――というと、そのマイナスを帳消しにできるくらい「便利」なのである。

   たとえば、下記の見出しを、「コロナ禍」という言葉を使わずに(あえて丁寧めに)付け換えるとどうなるか。

(1)コロナ禍で番組収録の自粛が長期化 大河、朝ドラ、連ドラも放送中断へ(毎日新聞(ウェブ版))
(2)LINE活用 紙面作り コロナ禍 県民の声反映(高知新聞(ウェブ版))
(3)コロナ禍の新店オープン オーケーの周到な感染防止対策(ダイヤモンド・チェーンストア)
(4)草間彌生さん「光こそ来たれ」 コロナ禍でメッセージ(朝日新聞デジタル)

   (1)は、「コロナ感染拡大の影響で番組収録の自粛が長期化」。(2)は、「コロナ問題をめぐり 県民の声反映」くらいか。(3)は、「コロナ感染拡大の中での新店オープン」。(4)は本文も踏まえると「コロナ感染拡大と戦う社会にメッセージ」といったところだろう。

全部「コロナ禍」で済む楽なワード

   すぐにわかるのは、どうしても長くなることだ(これはあくまで丁寧に付けているので、普段はもうちょっと省略する)。一般的に、あまり見出しは長くしたくない。ネットニュースでもそうだし、紙メディアの場合は特にそう。「短い」言葉はそれだけで強い。

   さらに――これが最大のポイントなのだが、上の言い換えからも見て取れるように、「コロナ禍」という言葉には、幅広いニュアンスを含ませることができる。「ウイルス/病気そのもの」「感染拡大という事象」「感染拡大が個人/社会にもたらす負の影響」「感染拡大が続く社会状況」――全部、「コロナ禍」で済んでしまうのだ。

   要するに、言葉を選ぶ側からすれば「楽」なのである。弱点である「なじみのなさ」「読みにくさ」も、認知度さえ高まってしまえば問題ない。

「コロナ禍」という言葉が登場した後の「コロナ 禍」の検索件数の推移。4月半ばにはかなり一般的な語彙に
「コロナ禍」という言葉が登場した後の「コロナ 禍」の検索件数の推移。4月半ばにはかなり一般的な語彙に

   こうして、当初は様子見をしていたメディアも「コロナ禍」を採用し、そしてますます一般にも知られるようになり、さらに「右に倣え」で言葉が広がっていく――。

   言葉としての「コロナ禍」は、こうやって拡散したのだろう。

便利な言葉は怖さもある

   というわけで、データと、ネットニュース編集者としての経験から、「コロナ禍」という言葉を追いかけてみた。

   便利な言葉というのは確かに助かる。ただ、ちょっと怖いところもある

   中島敦に、コロナ禍......じゃなく、「文字禍」という小説がある。主人公は「文字(この場合、言葉と言い換えても良い)」の害を主張する、古代アッシリアの老博士だ。

   人間は言葉を通じてイメージを共有できる。だがそのイメージは、逆にその言葉に縛られる。言葉では表せない細かなニュアンスや要素が、言葉を介すると見えなくなってしまう。すると「職人は腕が鈍り、戦士は臆病になり、猟師は獅子を射損う」。今風に言うと、世界の「解像度」が落ちてしまうのだ。そして、言葉で表されなかった部分は、忘れられてしまう。なかったことになってしまう。

「文字の精共が、一度ある事柄を捉えて、これを己の姿で現すとなると、その事柄はもはや、不滅の生命を得るのじゃ。反対に、文字の精の力ある手に触れなかったものは、いかなるものも、その存在を失わねばならぬ」(文字禍)

   上にも書いたように、「コロナ禍」という言葉の守備範囲は広い。広すぎて、一人ひとりの病苦から、疫学的な問題、経済への影響、個々人の困窮、生活上の不便、ひとびと同士の軋轢、政府の対策、社会の変動、あらゆるものが「禍(か=わざわい)」というふわっとした言葉の中にくるまれてしまう。すると老博士が言うように、本来見なくてはいけないものが見えなくなるのでは――。

   と、偉そうなことを書きつつ、僕はたぶん明日以降も「コロナ禍」を見出しに取ると思う。便利なんだもの。仕方ないね。

(J-CASTニュース編集部 竹内 翔