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5月19日は「ボクシングの日」 敗戦後の日本に「希望の光」与えた世界王者

   1952年5月19日、日本で初めてのボクシングの世界王者が誕生した。東京・後楽園球場で世界フライ級タイトルマッチが行われ、挑戦者・白井義男が王者ダド・マリノ(米国)を判定で破り王座を獲得した。4万の大観衆が見守る中、世界初挑戦の28歳が日本人として初めて世界のベルトを腰に巻いた。

   日本プロボクシング協会は2010年、白井氏の功績を称え5月19日を「ボクシングの日」に制定した。

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「理事会では全会一致で決まりました」

   2010年当時、東日本ボクシング協会の副会長を務めていた協栄ジムの金平桂一郎会長(54)は、「ボクシングの日」が誕生した経緯について次のように語った。

「その当時、ボクシング界には記念日がありませんでした。そこでボクシング界にも何か記念日を作ろうということで、大橋(秀行)会長(当時・日本プロボクシング協会会長)が声を上げました。大橋会長はかねてから考えをお持ちだったようで、日本で初めての世界王者が誕生した5月19日をボクシングの日にしようと。理事会では全会一致で決まりました」(金平会長)

   白井氏は第2次世界大戦の最中の1943年にプロデビューを果たすも44年に海軍に招集された。45年の復員後は再びプロボクサーとしてリングに復帰。49年1月に日本フライ級王座、同年12月に日本バンタム級王座を獲得した。白井氏はマリノの王座に挑戦するまでに、2度マリノとノンタイトル戦で拳を交えている。51年5月の初戦は判定負け、同年12月の再戦では7回TKO勝ちしている。

   白井氏の世界王座奪取を語る上で欠かせないのがアルビン・R・カーン氏の存在だ。カーン氏は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)職員の生物学者であり、通称「カーン博士」として知られている。カーン氏は白井氏の才能を見出し、当時最先端の科学的トレーニングの導入、徹底した健康管理などを行った。コーチだけではなく、マネジャーとしても手腕を発揮し、白井氏を世界の舞台へと押し上げた。

両親の母国のボクサーにチャンスを

   1952年当時、日本人ボクサーが世界王座に挑戦すること自体、現代とは比較にならないほど難しいものだった。王者サイドとの交渉、王者を招へいするための外貨、そして何よりも世界王者がその階級に1人しかいない時代である。日本にはプロボクシングの統括機構である日本ボクシングコミッション(JBC)さえ存在しておらず、JBCは白井氏の世界戦を機に52年4月に設立された。

   白井氏の世界戦実現へ向けてカギを握っていたのが、王者マリノのマネジャーであるサム・イチノセ氏だ。イチノセ氏はハワイ出身の日系2世で、ハワイのボクシング界で強大な力を持っていたという。興行のための十分な外貨がなく、王者サイドからみればメリットの少ない世界戦だった。だが、イチノセ氏は両親の母国である日本のボクサーにチャンスを与えたいとの思いから試合を決めたという。日本ボクシング界の恩人のひとりだ。

   ジム制度をとっている日本では、白井氏とカーン氏との関係は異色のものだった。白井氏はカーン氏と出会う前まで王子拳道会に所属していたが、カーン氏はマネジメントなどの権利を買い取り、白井氏とマネジャー契約を結んだ。カーン氏はファイトマネーからマネジメント料を差し引くことなく白井氏に全額与えたという。そして、現役引退後はボクシングビジネスには関わらず他のビジネスをすることを勧め、白井氏はこれを頑なに守り続けた。

「どのジムにも忖度することなく丁寧な解説を...」

   白井氏がカーン氏と出会った時、白井氏は腰痛に悩まされ現役引退の危機にあったという。カーン氏は白井氏に栄養のある食事をとらせた上で、筋肉トレーニングを行わせた。適切な筋トレによって腰の痛みは激減した。また、当時はファイタースタイルが主流だったが、カーン氏は手足が長い白井氏の身体的特徴を生かしたファイトスタイルを叩き込み、無駄な打ち合いをさせなかったという。

   白井氏は王座獲得後、4度の防衛に成功。1954年11月に行われた5度目の防衛戦でパスカル・ペレス(アルゼンチン)に判定負けし、55年5月のリマッチでは5回KOで敗れ、この試合を最後にグローブを置いた。白井氏の現役引退後も日本に残ったカーン氏は1971年1月に永眠。敗戦に沈む国民に「希望の光」を与えた白井氏は、2003年12月に80年にわたる生涯に幕を閉じた。

   生前の白井氏と親交があったという金平会長は「私のジムにも何度も足を運んでいただき、公開練習などを見て頂きました。非常に紳士かつダンディーな方でした。テレビの解説もして頂きましたが、どのジムにも忖度することなく丁寧で分かり易い解説でした。白井さんの現役時代の映像を見たことがありますが、スタイリッシュなボクシングできれいなワンツーを打っていたのが印象的です。カーン博士と素晴らしい出会いをしたことがその後の白井さんの人生を大きく変えたと思います」と語った。