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外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(29) 米国はバイデン政権下で分断を克服できるか

   米大統領選は2020年12月14日、選挙人投票が行われ、民主党のバイデン候補が選挙人の過半数を制し、次期大統領の座を確実にした。だがコロナ禍に揺れ、激戦の末に勝利をもぎ取ったバイデン氏は「分断」や「格差」を克服できるのか。アメリカ研究第一人者の古矢旬・東大・北大名誉教授に話をうかがった。

  •                         (マンガ:山井教雄)
                            (マンガ:山井教雄)
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抑圧された票の解放が高い投票率に

   古矢さんは米プリンストン大で修士・博士号を得て長く北大、東大大学院などで教鞭をとった。アメリカ政治外交史を中心に著書も多く、今年8月には岩波新書「シリーズアメリカ合衆国史」の第4巻「グローバル時代のアメリカ 冷戦時代から21世紀」を上梓している。

   今回の米大統領選で古矢さんが注目したのは投票率の際立った高さだ。

   米NBCの11月5日報道によると、投票者数は1億6千万人近くで、投票率は推計66・7%。これは20世紀に入って以降最高であった1908年の65・9%を上回る可能性があるという。

   米CNNが11月25日に報じたところでは、バイデン氏は史上初めて8千万票超を獲得し、トランプ氏もその時点で7387万票を得た。これは自らの4年前の得票数6297万票だけでなく、過去最多だった08年のオバマ氏の6949万票を上回る史上第二位の得票数だった。

   いうまでもなく、米大統領選は有権者が各州及び首都ワシントンで投票し、一票でも上回った候補が人口に応じたその州の「投票人」を総取りし(ただしネブラスカとメインはこの総取り制の例外)、全米選挙人の過半数270人を取れば勝者になる「二段階方式」だ。必ずしも一般投票の得票数が勝敗を分かつ結果にならないことは、前回ヒラリー・クリントン候補が一般得票数で上回りながら敗北したことでも明らかだ。それにしても、これだけ多数の有権者が投票したのは異例といっていい。その点について古矢さんはこう指摘する。

   「今回の選挙の投票率は、1900年(73・9%)以来、120年ぶりの高さといわれる。19世紀末は『政党の時代』と呼ばれ、民主党も共和党も躍起になって票を掘り起こした。だがその後は大統領選で5割から6割前後、中間選挙で4割程度の投票率の時代が長く続いた。前回の選挙でトランプ氏やサンダース氏が新しい票田を掘り起こし、その上に今回はコロナ禍による郵便投票、期日前投票で大量の新たな票が投ぜられたと思われる」

   もちろん今後、両候補に占める郵便投票、期日前投票は各州、各郡ごとの結果を詳細に分析する必要があるが、古矢さんは、それらの方式によってこれまで抑えられてきた黒人らマイノリティ票が大量に掘り起こされた可能性が高い、という。

   米国は広い。アラスカに次ぐ面積のテキサス州は日本の1・8倍の広さだ。この大きさが建国以来、大統領選投票でも様々な隘路になった。米国では西に行くほど州の面積が大きくなる傾向があり、州都は州の真ん中に位置することが多い。東西南北、地理的にも権力や役所機構に平等にアクセスできるようにとの配慮からだ。だが、民主政にとってこの広さがしばしば問題になる。米大統領選は4年ごとの11月第1月曜日の翌日に行われるが、もともと平日の1日をつぶして遠方の投票に行けるのは暮らしにゆとりのある階層だ。さらに、近年とくに共和党が州議会で多数を握る州では、投票資格条件を厳格化し、有権者登録に加えて公式のIDや写真付きIDを要求したり、投票できる場所を絞ったり、マイノリティに不利なように選挙区を区割りする「ゲリマンダー」をしたりするなど、様々な方法で投票に制限をかけてきた。

「郵便投票や期日前投票が増えた背景には、むろんコロナ禍があるが、同時にそれは、いかにこれまで、とくにマイノリティーズの投票が不公正な投票システムによって抑圧されていたのかを示す結果でもあったといえる。その意味で、今回の高得票率は郵便投票が『抑圧された票の解放』をうながしたことを意味している」

   この点を機敏に察知したトランプ陣営は、選挙前から郵便投票や期日前投票が大量の不正投票につながると主張してきた。だが、そうした危惧が言い立てられただけに、州議会で共和党が優勢な州ほど、選挙管理を担う人びとは公正で厳密な投開票作業に努めたと報道されている。実際トランプ陣営がいくら訴訟を重ねて不正を主張しても、大量の不正投票の存在を裏付ける客観的な証拠は見つからず、ついにはバー司法長官すら、12月1日、その主張を裏付ける「証拠は見つからなかった」と発言し、退任に追い込まれる結果になった。

   「今回の投票率の飛躍的な上昇は、これからその背後に大規模な不正の存在が証明されない限り、アメリカ・デモクラシーの投票制度の変更の大きな契機になる可能性がある。勝敗の結果だけでなく、また郵便だけでなくネットの利用も含めたアメリカの民主制度の質の変化にも注目したい」と古矢さんはいう。

   ところで、私たちはトランプ政権からバイデン政権への移行を既決事項としているが、厳密にいえば、わずかながらまだ波乱の可能性はある、と古矢さんは指摘する。12月14日の選挙人投票は、1月6日に連邦議会の上下院が承認して初めて確定する。だがそれまでの間、あるいは就任式前にバイデン氏にもしものことが起きた場合や万一議会が選挙人投票の結果を承認しなかった場合には、誰が政権を引き継ぐか、合衆国憲法には明確な規定がないのだという。それらの場合には、連邦憲法修正12条、すなわち、どの候補も選挙人票の過半数を獲得しない時は、連邦下院の投票(ただしこの場合は、下院の議席数と関係なく州ごとに一律一票を投ずること)によって大統領を選出することになる可能性がある。連邦下院の現状を州ごとに見れば、支配数では共和党が優勢だ。トランプ陣営は、最後にはその可能性に賭けているように思われるので、就任式まで、バイデン氏もまだ気を緩めることはできないのだという。

二転三転した2大政党の勢力範囲

   私たちは米国の2大政党である共和党と民主党が、それぞれ州ごとに堅い地盤を持っていることを知っている。シンボルカラーで共和党の赤、民主党の青で米国の地図を塗り分ければ、東西両海岸が青、南北にわたる内陸中央部や南部が赤になる。毎回の大統領選でこの大きな勢力範囲は安定しており、選挙のたびに支持政党が変わる「スイング・ステート」によって勝敗が変わる。当然ながら、時代や地域の経済事情などによって、「スイング・ステート」は変わる。私はもともと、この2大政党の分布は歴史や伝統に根差し、昔から変わっていない、と信じ込んでいた。

   ところが、古矢さんによると、それは誤りなのだという。

   19世紀末は「政党の時代」と呼ばれたことはすでに紹介した。この当時は、南北合わせて50万人以上の死者を出した南北戦争(1861~1865年)の影を引き摺る時代でもあった。北部23州が共和党のリンカーン大統領の下に結束した北軍は南軍を圧倒し、奴隷制は廃止され、1870年の憲法修正15条で黒人にも投票権が与えられた。北軍は、戦後1877年に引き上げるまで南部11州を軍事占領下に置いた。

   しかし北軍が去ると、南部の白人勢力は「ジム・クロウ法」など、黒人の投票を制限する様々な制限を加えた。その中心になったのが民主党だった。こうして共和党・民主党はそれぞれ支持層を掘り起こし、2大政党による激しい選挙戦が繰り広げられた。投票率が上がったのはそのためだ。つまり北部を中心とする多くの州は共和党、南部は民主党というのが当時の勢力範囲だった。

   その構図が劇的に変わったのが1932年の大統領選だ。29年のウォール・ストリート株式暴落に始まる世界恐慌に対し、政府の積極介入を唱える「ニューディール」政策を掲げた民主党のフランクリン・ルーズベルト大統領が選ばれ、36年には約60%の得票率で圧勝し、再選された。それまで優勢だった共和党の政権では、もう恐慌には対処できない。米国の有権者は、労働者の4人に1人が失業するという苦境からの脱却を民主党に託し、それまで南部が拠点だった民主党は都市部を中心に北部にも支持基盤を広げた。

   ルーズベルトは戦時の1944年まで異例の4選を果たし、その死去後に政権を引き継いだトルーマンが第2次大戦を勝利に導いた。

   トルーマンの後を継いだのは共和党のドワイト・アイゼンハワーだった。彼は第2次大戦中、欧州における連合国軍最高司令官を務め、民主党支持者にも受け入れられる国民的ヒーローだった。だがこの時にも共和党は、民主党の牙城である南部には浸透できなかった。

   次に両党の勢力分布が大きく変わるのは、1960年に誕生したJ・F・ケネディ政権以降だ。1955年のモントゴメリー・バス・ボイコット事件などで始まる人種差別反対運動は南部などで激しい抗議活動を展開し、J・F・ケネディと弟の司法長官ロバート兄弟は、公民権法制定に向けて舵を切ろうとした。JFKは1963年にダラスで凶弾に倒れるが、政権を引き継いだリンドン・ジョンソンは、南部テキサス州の保守的な政治家であったにもかかわらず、翌年、公民権法を成立させる。だが、このことが、従来は南部の強固な地盤を支えてきた民主党の保守派には「裏切り」と映った。1964年選挙で共和党候補になったアリゾナ州出身のバリー・ゴールドウォーターは、反公民権法を打ち出し、南部白人保守層の取り込みを図った。南部は、これをきっかけとして大きく共和党に傾き、長く「堅固なる南部(Solid South)」と謳われた地域から、二党化し、さらには共和党の牙城へと変貌してゆく。つまり、南北戦争から100年をかけて、「民主党の南部」は「共和党の南部」に変わったことになる。

   二転三転した勢力範囲は、アメリカの民主主義がいかにダイナミズムに満ちたものであるかを物語っている。そう考えれば、今も米国には、巨大な地殻変動を起こす潜在的な可能性がある、と思わざるをえない。

124年前の選挙とトランプ登場との共通性

   古矢さんはここで、124年前、つまり1896年の大統領選と今回の選挙との比較について話してくださった。これは共和党のウィリアム・マッキンリーが、民主党などをバックとするウィリアム・ジェニングス・ブライアンを破った選挙で、「政党時代」の掉尾を飾る選挙になった。

   古矢さんがこの選挙に注目するのは、民主党が南部だけでなく、中西部から南東部にかけての「バイブル・ベルト」や中西部北側の「グレイン・ベルト」のそれまで共和党の牙城だった地域にも食い込んできたからだ。つまりそれまで固定されたかに見えた2大政党の「指定席」が大変動を起こす兆候である。

「当時と今回の二つの選挙に共通するのは、その背景にそれまで米国経済の根幹を支えてきた産業構造の転換がある、ということです」

   19世紀の米国を支えた産業は農業であり、フロンティアを目指して西進する進取の精神に満ちた開拓の独立自営農民が、アメリカのヒーローだった。しかし南北戦争後、急速に工業化が進むアメリカでは、農業発展は停滞し、逆に石油や鉄鋼、造船、自動車、電気などの重厚長大型の産業が育っていく。「第2次産業革命」である。今や衰退産業となった農業の担い手である西部、南部の農民は、農産物の貯蔵や輸送に過大な運賃を請求する倉庫会社や鉄道会社と対立し、農産物価格の低下を招く連邦政府の通貨政策や大量の移民を受け入れる太平洋岸、工業化が進む大西洋岸の都市を敵視し、各地で抵抗運動や反乱を起こした。

   古矢さんはその構図が、2016年のトランプ政権誕生の背景によく似ていると指摘する。21世紀の場合、衰退したのはかつて20世紀の米国を支えた鉄鋼、自動車、造船などの重厚長大産業であり、その衰退の象徴が「ラストベルト」だった。

   代わって上り坂にあるのは、太平洋岸に本拠を置くIT産業や宇宙産業、生命科学であり、大西洋岸のウォール・ストリートを中心とする金融業だ。皮肉にも、製造業から金融業への転換を図ったのは、1981年に政権の座に就いた共和党のロナルド・レーガン大統領だったが、トランプ氏はこの転換によって長期衰退を余儀なくされたかつての製造業中心地域「ラストベルト」に攻勢をかけ、「忘れられた労働者」に「偉大なアメリカを取り戻そう(MAGA)」と訴え、その票を掘り起こした。

   衰退産業の担い手とは、かつて政府が国策として厚遇した中産階級でもある、と古矢さんはいう。たとえば19世紀、リンカーン大統領は1862年にホームステッド法を制定した。これは未開発の土地、一区画当たり160エーカー(約65ヘクタール)を無償で農民に払い下げるもので、これによって西部開拓に拍車がかかった。各州は農業大学を設立し、最新の農業技術を農民に分かち与えた。こうした国策によって、19世紀アメリカの農民を中核とする中産階級社会が形成された。しかし19世紀末には、この農本主義的世界が広範な産業主義の流れの中で衰退に向かってゆく。

   20世紀にアメリカを支えた製造業の労働者たちは、第2次大戦では兵士としてヨーロッパ、アジアの戦線を担って戦った。これに報いるべくルーズベルト大統領はすでに戦時中に、GI法(復員兵援護法)を成立させ、復員軍人に保証付き住宅ローンや職業訓練、大学の学資援助などを提供し、民間人として産業の現場に戻るまで、彼らを側面から支えた。続くトルーマン大統領もまた朝鮮戦争の復員兵士に報いるべく、同様の立法により政府援助を与えている。世界の製造業の4割から5割を米国が占めたという時代だ。かつての農民のように、彼ら製造業の労働者たちは戦後アメリカの中産階級の豊かな生活を享受するとともに、誇りと自信をもって社会の中枢を担っていた。

   しかし、脱工業化社会の到来に伴い1970年代以降半世紀にわたり、そうした彼らの暮らしは傾き、中産階層としての誇りも失われてきたという背景を抜きにしては、今回トランプ氏が7300万票も得た理由は理解できない。古矢さんはそう指摘する。

ポピュリズムは産業基盤転換期に台頭しやすい

   古矢さんによると、このように産業基盤が転換する時期、政治的には「ポピュリズム」が生まれやすい。実際、ポピュリズムという言葉自体、1890年代の米国で農民運動の中から生まれた新語だったという。

   19世紀末の米国のポピュリズムも、トランプ現象に伴うポピュリズムも、共通に二つの側面を併せ持つ社会運動である。その一つは、衰退の危機に直面した人びとの不満や憤懣に訴えるデマゴーギーという側面である。社会の中軸を担ってきたという主流意識を持つ衰退階層の不満は、自らの衰退を招いた原因としてスケープゴートや陰謀の存在を求める社会心理を生みがちである。19世紀末の農民運動にはメイソンやユダヤ人が秘密の国際組織によって権力を握っているという陰謀論がつきまとったし、現在のトランプ大統領支持者の間に広がった陰謀論「Qアノン」もその変種で、トランプ大統領を陥れようとする「ディープ・ステート」の存在が、広く信じられるにいたっている。

   ポピュリズムの二つめの側面は、より建設的に経済的苦境の打開を政治制度の改変や国家介入の拡大によって成し遂げようとする方向である。

   1890年代の農民運動は、鉄道や倉庫の国有化を求めたり、倉庫を農民の結成する協同組合のネットワークが所有し運営する方向を模索したりする建設的社会運動でもあった。こうした改革運動から、1901年にはアメリカ社会党も生まれている。つまり、陰謀やデマの一方で、こうした社会主義的、共同体的・コモン・ウエルズ的な流れを生むのが当時のポピュリズムのもう一つの側面だった。

   実はこの二つはその後も、ヤヌスのように、ポピュリズムの二つの顔となってくる、と古矢さんはいう。

   2016年には予備選挙でトランプ氏が3千万票を取ったが、民主党の予備選でもサンダース候補が3千万票を獲得した。

   「陰謀論」を振りまくトランプ陣営と、「民主社会主義者」を自称するサンダースの陣営とは一見正反対に見えるが、ポピュリズムの歴史的な出自を振り返れば、その双面神の二つの顔とみるのが自然だ。

「サンダース現象は、左に大きく舵を切って、政治によって格差社会を変えるしかない、と訴え、マイノリティや若い世代をひきつけた。結果的に前回はそれがクリントン候補との激しい対立を生み、民主党の分裂からトランプ氏の勝利につながった。しかし、この流れは今も民主党内では健在で、サンダース議員だけでなく、エリザベス・ウォーレン、アレクサンドリア・オシオ=コルテスらがマイノリティや若い世代の女性たちをひきつけている。バイデン次期大統領は、この勢力とも折り合っていかねばならないでしょう」

   だがサンダースやウォーレンらによるラディカルな社会変革に成算はあるのだろうか。古矢さんは、19世紀末との大きな違いを指摘する。

   「当時は労働者も無産化し、抑圧された労働者による労働組合運動も盛んになっていった。今のアメリカ労働総同盟・産業別組合会議(AFL・CIO)の前身も生まれつつあった。つまり、労働運動は上り坂であり、資本に対抗する労農提携の基盤があったことになる。しかし、今日ではネオリベラリズムとグローバル化の進んだ過去40年間に労組が壊滅的に衰退し、金融資本に対する強固な労農提携など望むべくもない。

   それでは、例えば今回の大統領選で活発化した「ブラック・ライブズ・マター(BLM)]運動のような人種差別や格差を超える動きは、その連帯の基盤とはならないだろうか。古矢さんは、それは日本で想像する以上に難しいだろうという。

「自分を何者かと規定するアイデンティティ・ポリテックスを経済的な再分配の運動と結びつけるのは容易ではない。白人中産階級には白人の誇りがあり、だから『多文化主義やポリティカル・コレクトネス』の時代、自分たちこそが、ないがしろにされ差別されている、と考えがちだ。BLM運動の担い手たちが、ラストベルトの白人労働者たちと暮らしが厳しくなるという経済的共通項をとおして彼らと連帯しようとしても、互いのアイデンティティが邪魔をして他を排除する傾向は克服できないであろう。むしろ白人労働者は、今人種的デマゴーグに惹かれがちなのである」

現代と19世紀末とに共通するのは「移民排斥」

   もう一点、古矢さんが指摘する19世紀末と現代の共通点は「移民排斥」の動きだ。

   1890年から1900年代にかけての「世紀の変わり目」に、製造業が勃興するアメリカには移民の波が押し寄せ、外国人生まれの比率は13~14%に達した。東海岸にはユダヤ系、ロシア系、東南欧系の移民が多く、西海岸には鉄道や鉱山で働く中国系、次いで日系の移民が押し寄せ、労働集約型の農法で高い生産性をあげた。

   排日機運が高まり、1913年にはカリフォルニア州外国土地法が成立した。これは公民権獲得資格がない外国人に土地所有や3年以上の土地の賃借を禁止する法律で、明示はしていないが事実上、日系移民を排斥する法律だった。当時は西海岸が移民排外の前線で、その動きが南部の黒人差別や東部のアーリア系反移民運動と結びついていた。

   これは、反ヒスパニックやイスラム排外運動が反黒人運動と結びつき、白人至上主義につながる現代の動きに重なって見える、と古矢さんはいう。

「今回の選挙は様々なアメリカ社会の分断を映し出している。経済格差、人種、文化とその分断は根が深く、連邦政府の政権が変わるだけで、一気に解決できるというものではない」

   トランプ政権で特徴的だったのは、独断的な人事で国防・国務の閣僚や高官を次々に解任・更迭する一方で、経済・金融関係の補佐官や閣僚はあまり変えなかったことだ、と古矢さんは指摘する。任期を全うしたのはスティーブン・ムニューシン財務長官、ウィルバー・ロス商務長官、ピーター・ナバロ国家通商会議委員長ら金融エリートたちだった。

「最も不安定なトランプ政権の下で、最も安定していたのはウォール・ストリート出身の金融エリートたちでした。バイデン次期大統領の閣僚候補指名を見ていると、財務長官に元連邦準備制度理事会(FRB)議長のジャネット・イエレンを充てるなど、やはり金融エリートを重用する傾向がみられる。サンダースやウォーレンが求めるような富裕層への課税や再分配機能の強化に踏み込めるのかどうか、はなはだ疑問がある」

   もともとトランプ政権がここまで持ちこたえたのはオバマ政権2期目で失業率が3%台にまで落ち、上向きに転じた経済環境を引き継いだからだった。今回のコロナ禍のような惨事があっても、金融緩和と連邦政府の財政出動で金融システムと産業を守れば、企業の内部留保はふくらみ、富裕層はより多くの給与や配当を受け取って一層豊かになる。ナオミ・クラインの言う「ショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義)」である。

「そうした惨事便乗型の資本主義はいけない、というのがサンダースやウォーレンら左派の考えでしょう。トランプ政権からバイデン政権になって、その方向に変化が起きるのか。そこに注目したい」

バイデン政権で「アメリカ・ファースト」は変わるか

   バイデン次期大統領は、国際協調派と目され、欧州での次期政権への期待は高まっている。独断専行のトランプ政権に振り回された日本でも、ある程度予測可能な米政権の登場は安心感を与えるだろう。だが、そこにはまだ疑問がつきまとう。

   トランプ政権はたしかに「アメリカ・ファースト」という自国優先主義を打ち出した。だがそれは、かつての「モンロー主義」への本卦還りなのだろうか。あるいは中国の覇権を前にして相対的な国力の衰えや地位低下を醒めた目で認識し、必死で食い止めるため、なりふり構わずアメリカの生き残りを図る最初の兆候ではなかったか。

   後者の場合、バイデン政権が自国優先主義から一転して国際社会のリーダーとして振る舞うとの予測は楽観的に過ぎるということになるだろう。とりわけ、トランプ氏を支持した7300万票の重みを考えれば、対中国への宥和姿勢への転換や、日欧に対する防衛負担・協力への高圧的な要請を、すぐに取り下げるとは考えにくい。こうした質問をぶつけると、古矢さんの答えは次のようなものだった。

「モンロー・ドクトリンというのは、まさにアメリカ・ファーストの考えに近かった。ただ、20世紀に帝国主義化するアメリカの国際化は、常にアメリカ的なデモクラシーを国際標準にして他国に押し付けるという形をとってきた。グローバル化時代の国際金融標準、国際会計標準に至るまで、ずっとそうです。それに対し、日本は、アメリカ的な国際標準には追随するが、自分だけは別扱いにしてほしいという態度をとってきた。これは明治時代以降、ずっと続くメンタリティといえるかもしれない」

   「第1次大戦後のパリ講和会議で、日本の牧野伸顕全権は国際連盟規約に人種差別撤廃を明記するよう提案した。だが、それは有色人種全体への人種差別をやめさせるという普遍的な民主主義的な立場からの提案ではなく、日本だけは特別扱いにしてほしい、という姿勢だったのではなかったか。オーストラリアの『白豪主義』の時代にも、南アフリカでアパルトヘイトが行われていた時期にも、『名誉白人』の扱いを求めたことも、その延長にあるように思う。バイデン政権の国際政策がどうなるにせよ、日本は普遍的で、他国も耳を傾けるような、独自の主張をしていくようにしてほしい」

コロナ禍とアメリカの歴史と伝統

   それにしても、コロナ禍に対するトランプ政権の無策ぶりは、目に余るものがあった。私がそんな感想を漏らすと、古矢さんは、「トランプ氏の奇矯な行動が混乱をもたらしたことは確かだ。しかし、この感染急拡大は、彼個人だけの問題とは言い切れないかもしれない」と話してくださった。

   アメリカの「反知性主義」や「反科学主義」には建国以来の根強い伝統があり、それが今回のコロナ禍に影響をもたらした可能性は否定できない、というのだ。これはどういうことなのか。

   人間社会が疫病に襲われるとき、祈祷や呪術によってではなく、科学的に確立された公衆衛生、防疫の知識によって、これと立ち向かう。この点こそが、近代と前近代を分かつ指標であろう。実際、近代以後の人類社会はグローバル化の今に至るまで、こうした知識や科学によって、乳幼児死亡率の激減や寿命の長期化、教育レベルの向上などに大きな成果をあげてきた。

   しかし、近代的な知や科学は、あらゆる問題を確実に解決する万能の手段ではなく、科学偏重が悲惨な結果を招いた失敗の事例も少なくない。また時として知識人や科学者や専門家のおごりや専横が、広範な民衆の間に不信を招き、反科学や反主知主義の風潮を生むこともまれではない。近代、とりわけ米国にはその成り立ちから、こうした知識や科学を疑うというもう一つの伝統があった。リチャード・ホフスタッター(米の歴史家)が「反知性主義」と呼ぶこの流れは、時に専門家や知識人を、庶民とは違って、人々を専門知識や科学でたぶらかし、エリートに成りあがって利用する、という見方をする傾向があるという。

   合衆国憲法には、第9条に次の規定がある。

「合衆国は、貴族の称号を授与してはならない。合衆国から報酬または信任を受けて官職にある者は、連邦議会の同意なしに、国王、公侯または他の国から、いかなる種類の贈与、俸給、官職または称号をも受けてはならない」

   このように特権を有するエリートが形成されることを否定し、常に警戒するという原則の上に建国したアメリカには、特権をもつ貴族もまた人権を制約された農奴も存在してはならないはずであった。むろんここでの最大最悪の例が黒人奴隷制の容認であり、先住民殲滅政策であった。この二つの巨大な矛盾にさえ目をつぶれば、少なくとも白人男性の間での特権の否定と平等が、アメリカのもともとの国是であった。彼らは19世紀には独立自営農民として分厚い中産階級を形成し、20世紀のアメリカは重厚長大の製造業の労働者という中産階級を育てた。契約、居住、職業選択は個人の自由であり、その徹底した平等と自由のもとに、社会の統合と安全が図られた。

   だが農業技術を高度化するには科学を研究し、農業技術者を育てていかねばならない。当然教育機関や研究機関を整備する必要がある。そこには技術や科学に関する新しいエリートの誕生が求められ促進される契機が当初から孕まれていたといっていい。つまり、アメリカ社会は当初から、「エリート主義」と「中産階級主義」という矛盾を抱え込むことになった。

   中産階級が安泰で、社会全体の暮らし向きが良くなっていく時期には、この矛盾は表面化することはないかもしれない。だが、いざ中産階級の暮らしが脅かされ、不安や不満が募ると、その内訌するフラストレーションはエリートの財力や地位などへの反感や反発、恨みつらみになって噴出することがある、というのだ。

   もう一つの要因は宗教だ。

   欧州のカトリックが強固な信仰組織を持ち、市民は宗教エリートである神父の下で教区に生まれ教区で社会に組み込まれるのに対し、アメリカのプロテスタントはバイブル一冊だけを持って移民し、日々聖書に向き合って信仰を強めていった。開拓時代の西部にはまだ教会のない地域も多く、宗教的な権威による解釈に頼ることもできなかった。こうして聖書がすべて、という「福音主義」が根づいていった。

   欧州ではラマルクの「要不要説」からダーウィンの進化論に至るまでに、科学と信仰を分離する流れが定着したが、アメリカでは額面通りに聖書の文言を受け取り、進化論を否定する流れが依然として根強かった。

   1896年の大統領選で敗れた民主党のブライアンは、政界から引退した後は、宗教指導者として人気を博したが、1920年代には進化論論争の一翼を担ってゆく。進化論を公教育の場で教えていいか、が争点になったテネシー州の有名な「スコープス裁判」で、彼は進化論否定の立場から証言し、東部都市のエリート知識人によって嘲弄された。しかし、この時の判決は、公教育の場で進化論を教えてはならないとした州法を認め、被告スコープスは罰金刑に処された。

「この一事に見られたように、都市化のいちじるしく進んだ1920年代のアメリカにあってなお、科学的知見が宗教によって否定されたことは、驚きです。しかもこの進化論論争は、この21世紀にあってもなおアメリカのバイブル・ベルトで戦わされていることも忘れてはならないでしょう」

   こうした「反知性主義」や「反科学主義」の伏流水は、産業構造の転換に伴う中産階級衰退の時期には「反エリート主義」になって表に噴出することがある。

「アメリカの場合は、個人が自己判断でこれでいい、と決める伝統がある。アメリカ社会は自己判断の強さを信じる人の集団であり、アメリカの民主主義は、その自己判断に支えられている面もある。彼らは決して妥協しない。付和雷同に流されがちな日本とは対極的ですが、どちらがいいというのではなく、現代に生きる彼らも我々も、それぞれの文明史観のもとに生きている、ということなのでしょう」

   古矢さんのお話をうかがって、日進月歩で技術が進む今の私たちも、いかに長い歴史や伝統のもとに、それぞれの道を歩んでいるかを思い知り、この国の過去とこれからに思いをめぐらした。

ジャーナリスト 外岡秀俊




●外岡秀俊プロフィール
そとおか・ひでとし ジャーナリスト、北大公共政策大学院(HOPS)公共政策学研究センター上席研究員
1953年生まれ。東京大学法学部在学中に石川啄木をテーマにした『北帰行』(河出書房新社)で文藝賞を受賞。77年、朝日新聞社に入社、ニューヨーク特派員、編集委員、ヨーロッパ総局長などを経て、東京本社編集局長。同社を退職後は震災報道と沖縄報道を主な守備範囲として取材・執筆活動を展開。『地震と社会』『アジアへ』『傍観者からの手紙』(ともにみすず書房)『3・11複合被災』(岩波新書)、『震災と原発 国家の過ち』(朝日新書)などのジャーナリストとしての著書のほかに、中原清一郎のペンネームで小説『カノン』『人の昏れ方』(ともに河出書房新社)なども発表している。