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井上尚弥「現役は35歳まで」 具志堅用高は26歳で引退...選手生命が伸びた要因は?

   ボクシングのWBA、IBF王者・井上尚弥(大橋)は自身の引き際について「35歳」をひとつのメドにしている。27歳にして世界3階級を制覇し、これまでに4本の世界ベルトを手にした。「モンスター」の愛称は世界のボクシングファンに浸透し、海外メディアが格付けするパウンド・フォー・パウンド(PFP)では上位に進出。井上は35歳までの現役生活でどのようなパフォーマンスを披露するのか。期待は高まるばかりだ。

  • 井上尚弥
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42歳のパッキャオはいまなお世界のトップに

   世界的にみて30歳を過ぎた世界王者は多数おり、有名なとろころでいえば、世界6階級制覇でWBA世界ウエルター級休養王者マニー・パッキャオ(フィリピン)は42歳にしていまだ世界の第一線で活躍している。井上が保持するWBAバンタム級王座では、40歳のギレルモ・リゴンドー(キューバ)がレギュラー王者に君臨している。いずれも40歳超えの現役世界王者だ。

   日本人の世界王者に目を向けると、2012年ロンドン五輪ミドル級金メダリストの村田諒太(帝拳)は、31歳の時にWBA世界ミドル級王座を獲得。今21年1月に35歳となった村田はWBAミドル級のスーパー王者に昇格し、IBF世界ミドル級王者ゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)との王座統一戦を目指している。また、WBO世界スーパーフライ級王者・井岡一翔(Ambition)は31歳にして世界的評価が上昇している。

   近年の元世界王者でいえば、世界3階級制覇の長谷川穂積氏、元WBC世界スーパーバンタム級王者・西岡利晃氏、元WBA世界スーパーフェザー級王者・内山高志氏、元WBC世界バンタム級王者・山中慎介氏、世界3階級制覇の八重樫東氏らが30歳を過ぎてからも輝かしい実績を残している。このように近年の傾向をみれば、井上が35歳までトップを走り続けることは十分に可能だろう。

具志堅氏の後継者・渡嘉敷氏は24歳で引退

   日本ボクシング界ではかつて20代で現役を引退した世界王者は少なくなかった。13度の世界王座防衛の日本記録を持つ元WBA世界ライトフライ級王者・具志堅用高氏は26歳の若さでグローブを置いた。具志堅氏の後継者として同王座の獲得に成功した協栄ジムの後輩である渡嘉敷勝男氏は同王座を5度防衛。そして6度目の防衛戦で敗れ、その後王座返り咲きを目指すも24歳の若さで引退している。

   昭和の時代は10代でプロデビューする選手は珍しくなかった。そのなかで元WBA、WBC世界スーパーウエルター級王者・輪島功一氏は異例のケースといえるだろう。輪島氏は25歳でプロデビューし、その3年後に最初の世界王座を獲得。28歳の遅咲きだった。王座獲得後、6度の王座防衛に成功し、王座陥落後は2度にわたって王座返り咲きを果たした。当時「中年の星」と称された輪島氏は34歳で現役を引退している。

   2000年代に入ってから国内において30代の世界王者が数多く存在し、傾向として世界王者の選手生命は伸びつつある。その要因はどこにあるのか。J-CASTニュース編集部は協栄ジムの金平桂一郎会長(55)に分析してもらった。

「食事やトレーニングの方法が劇的に...」

「まずいえるのは、食事やトレーニングの方法が劇的に変わりました。昔はジムの中で水を飲むなとか、水を飲むとスタミナがつかない、根性がなくなるとか言う会長やトレーナーがいました。減量に関してもあまり栄養バランスを考えずにとにかく体重を落とせと。コンディショニングについてはトレーナーに任せるというような風潮がありましたが、今は選手の意識が高まっています。減量中にサプリメントでビタミンを補給したり、選手自身がよく研究しています」(金平氏)

   また、金平会長は選手の試合数について言及し、次のように持論を展開した。

「昔は選手の試合数が多く、そこで消耗したケースもあるでしょう。アマチュアエリートは別にしてかなりの選手が10代でデビューし、多くの試合をこなしていました。具志堅さんは世界王者になってからノンタイル戦を含めて1年に4回試合をした年が2度ありました。ご本人に話をうかがったことがありますが、体がずいぶんくたびれたとおっしゃっていました。今は多くても世界戦は1年に3回ほどです。試合のない期間にきちんと体のケアをすることができますし、それが現役を長く続けられる要因のひとつであると思います」(金平氏)

「試合のない時にいかに節制するか」

   選手のコンディショニングについて広い見識を持つ金平会長が、衝撃を受けたのがロシア式の指導法だという。金平会長はロシアの大学に留学した経験を持ち、コンディショニングについて学んだ。1989年には協栄ジムにロシアのトップアマが入門。トップアマの選手らは「ペレストロイカ軍団」と称され、そのなかには後の世界王者・勇利アルバチャコフ氏やオルズベッグ・ナザロフ氏らがいた。

「ロシアの選手はコンディショニングの意識が非常に高く、コーチの指導も科学的でした。今からみれば古いと思いますが、1989年当時はみな驚いていました。コーチの指導は細かく、練習の合間に選手の脈拍をはかって体調を管理したり、練習前に決められた体重を維持していなければ練習をさせないほど徹底していました。減量に関しても独自の考えを持っており、ほとんど減量はさせませんでした。試合のない時にいかに節制するかという考えでした。そして週に1度、サウナの日というのがありました。練習をせずにサウナに入ってリラックスする日です。ユニークなものでしたのでよく覚えております」(金平氏)