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引退の斎藤佑樹は「指導者に向いている」 栄光→挫折→怪我...波乱の野球人生を「教材」に

   日本ハム・斎藤佑樹の現役引退が発表された。

   引退登板となった2021年10月3日のイースタン・DeNA戦(鎌ヶ谷)では、6回からマウンドに上がり乙坂智を空振り三振に取ったが、5球投じた直球は最速133キロだった。目一杯腕を振るが、体がボロボロだったのは明らかだった。

  • 斎藤佑樹(写真:AP/アフロ)
    斎藤佑樹(写真:AP/アフロ)
  • 斎藤佑樹(写真:AP/アフロ)
  • 選手ロッカーの前でほほえむ斎藤佑樹投手(画像は杉谷拳士内野手のインスタグラムより)

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「斎藤はマウンドで涙を浮かべていましたが、ベンチに戻ると晴れやかな表情だった。思うような結果を出せず悔しさはもちろんあると思いますが、『もう投げなくていいんだ』と重圧から解放されたようにも見えました」(スポーツ紙記者)

   早実高で06年夏の甲子園、決勝再試合の末に駒大苫小牧高・田中将大(現楽天)との投げ合いを制して全国制覇を達成。一躍「時の人」になると、早大に進学して六大学史上6人目の通算30勝、300奪三振を達成。4球団競合のドラフト1位で日本ハムに入団した。

   高い評価であることは間違いないのだが、プロのスカウトから「アマチュア時代に投げすぎている。体が大きいわけではないし、故障のリスクがあるのではないか」と懸念の声があったのも事実だった。

   その心配は的中してしまった。新人の11年に6勝をマーク。だが、即戦力としては物足りない。翌12年はメジャー挑戦したダルビッシュ有(現パドレス)の穴を埋める最有力候補として自身初の開幕投手に抜擢されて白星を挙げたが、その後は打ち込まれて5勝止まり。そして、13年に右肩関節唇損傷が発覚。このケガが致命傷となった。

   手元で伸びる直球が見られなくなり、変化球も浮く。痛打を浴びて投球フォームで試行錯誤するが改善の兆しが見られない。18年から3年連続未勝利とファーム暮らしが長く続き、昨年10月に右肘の内側側副じん帯断裂と診断された。

   自身の血液から血小板を取り出し、患部に注射する再生療法「PRP療法」を選択し、今季途中に2軍で実戦復帰したが、11試合で3勝1敗、防御率5.63。もう限界だった。

「知識や経験を子供たちに還元してほしい」

   高校、大学ではまばゆい活躍を見せていたが、プロに入って低迷してバッシングを受けた。斎藤も傷ついただろう。それでも批判覚悟で11年間現役生活を続けたのは野球が好きだったからにほかならない。

   引退後のセカンドキャリアは未定だが、スポーツ紙のアマチュア担当記者は「高校、大学で指導者として戻ってきてほしい」と期待を込める。

「度重なる故障で苦しんだ分、その知識や経験を子供たちに還元してほしい。アマチュア時代にあれだけ活躍した選手ですが、プロでは長年苦しんだだけに色んな境遇の子供たちの気持ちにも寄り添える。斎藤は相手の心を開くのが上手です。指導者に向いていると思いますね」

   プロで目立った活躍を見せられなかったが、濃厚な11年間だったことは間違いない。「第2の人生」での活躍を願うばかりだ。(中町顕吾)