J-CAST ニュース ビジネス & メディアウォッチ
閉じる

手足3本失った僕が車いすでなく義足で歩く理由 激痛乗り越え、つかみ取った「自立」

   20歳の時に事故で手足を3本失った山田千紘さん(30)は外出時、両足に義足を履いて歩く。坂道も、階段も、自分の力で進んでいく。

   歩けるようになったのは、必死のリハビリを重ねたから。1年~1年半かかるとされたところを、わずか半年で退院した。背景にあったのは「自立する」という決意。自分の足でもう一度歩くため、どんな思いで、どんな練習を積んできたのか。そして今、運営するYouTubeチャンネルで大事にしていることとは。山田さんが語った。

   【連載】山田千紘の「プラスを数える」~手足3本失った僕が気づいたこと~ (この連載では、身体障害の当事者である山田千紘さんが社会や日常の中で気づいたことなどを、自身の視点から述べています。)

  • リハビリで両足に義足を履いて立ち上がった当時の山田千紘さん
    リハビリで両足に義足を履いて立ち上がった当時の山田千紘さん
  • リハビリで両足に義足を履いて立ち上がった当時の山田千紘さん
  • 坂道を上る山田千紘さん
  • 坂道を上る山田千紘さん

日常生活で困るような場所はもうほとんどない

   僕は家の中では車いすを使いますが、外出する時は義足を履きます。

   義足で歩く練習をしていた頃は、すぐに疲れて「座りたい」と思うことが多かったです。何もつかまずに立ちっぱなしだと、数分しか持ちませんでした。

   今は体幹がしっかりして、逞しくなったと思います。先日も、自分が企画したイベントで東京都内を5時間歩きました。デコボコ道や砂地など、歩きにくい場所は今もありますが、日常生活で困るような場所はもうほとんどないと思います。

   急な上り坂も行けるし、下り坂もゆっくりなら歩けます。坂道って簡単じゃなくて、下り坂は前がかりになるので、重心のコントロールでブレーキをかけないと、勝手にスピードが出て危険です。

   上りは逆に、重心を意識して前にかけないと歩けません。勾配が急なほど膝の力を使うので、膝がある右足頼みになります。

   今でも怖いのは雨の日です。濡れた路面で、幾度となく滑って転んできました。タイルの上なんかはツルツル。歩幅を小さくしたペンギン歩きで、注意して移動しています。

「自立」に込めた2つの意味

   9年前の事故直後、横浜の病院のベッドで強く思ったのは「自立したい」ということでした。

   僕にとって「自立」には2つの意味があります。1つは、自力で働いてお金を稼ぎ、家事をして生活すること。もう1つは、自分1人の足で立って行動すること。義足で歩けるようになることは、最優先課題の1つでした。

   両足がない場合、もちろん車いすを選択する道もあります。でも、僕は両足だけでなく、右手もない。左手だけで車いすを漕ぐと、右へ逸れます。まっすぐ進むには左右の車輪を交互に漕ぐ必要があります。練習して、平坦な道ではその操作ができるようになりましたが、坂道では手を離した瞬間に動いてしまい、できません。

   自力で立って歩きたいという意志と、車いすの難しさ。「義足か、車いすか」の選択肢があった時、僕としては迷わず「義足で歩く」ことを選びました。

   横浜の病院に3か月ほど入院した後、2012年10月に国立障害者リハビリテーションセンター(埼玉県所沢市)へ移り、義足で歩くリハビリを始めました。

   まず、膝がある右足用の下腿義足を作るため、足を採型しました。右足だけで、リハビリ用のバー(平行棒)につかまって立つ練習を始めました。

   立ち上がるとめちゃくちゃ痛いんですよ。断端(切断して残った足先)が重心を支えるのに耐えられない。体が慣れていなくて、激痛が走ったのをよく覚えています。全然思うようにいかなくて、もどかしく、悔しかったです。

   でも、立ち上がった瞬間、物凄い感動もありました。「こんな高さだったんだ」と。事故の後は車いす生活。立ち上がることができませんでした。もともとの身長は176センチです。その高さの景色を3か月ぶりに見て、自然と涙が出るような感動を覚えました。

左足の大腿義足は、ひとつ間違えると曲がってしまう

   膝がない左足用に、大腿義足という膝の機能があるものを作ってもらうと、両足義足での練習に移ります。最初は左右どちらかの足に少しでも痛みがあると、全く歩けない。

   それからは、バーの間を往復する練習の繰り返し。大腿義足は、歩く時はしなやかに膝が曲がったり伸びたりしますが、ひとつ間違えると意図せずカクっと曲がってしまいます。

   もう片方の足があれば咄嗟に支えられますが、僕は両足とも義足なので、左膝がうっかり折れると踏ん張れずに転んでしまいます。膝カックンをされて崩れ落ちるのと同じです。「この辺りで体重をかけると、膝が曲がるな」という感覚を少しずつつかんでいきます。

   義足は本当に繊細です。自分の足に合わせて作ってもらっても、多少ずれが出ます。足自体が、採型した時より細くなったり太くなったりします。1日の間でも変わります。

   最初からぴったりの義足にはならず、作り直しや調整を繰り返します。義肢装具士の方には本当に何度も試行錯誤していただき、僕の足に合った義足を作っていきました。

   バーを使って歩けるようになったら、PT(理学療法士)の方の背中などを掴んで歩く練習です。YouTubeにはリハビリ動画も公開しているので、よろしければどうぞ。

1人での外出許可は「自転車に乗れるようになった子どもみたいなワクワク感」

   リハビリでは当初から「杖を使わずに1人で歩けるようになりたい」と伝えていました。それには「1年から1年半ほどかかる」ということでした。

   1日でも早く1人で歩けるようになりたくて、必死に練習しました。毎日義足を履くのはもちろん、PTの方とのリハビリは1日1~2時間なので、それ以外の時間も義足を履き、万歩計をつけ、院内をひたすら歩き回りました。徐々に、PTの方に支えられながら、駅までの往復など院外へ行けるようになっていきました。

   変化があったのは12月。「杖を使えば1人で歩いていい」と外出許可をもらいました。それからは本当に楽しくて、ずっと歩いていました。

   自転車に乗れるようになった子どもみたいなワクワク感でした。漕ぎたくてしょうがない。それと同じです。寝ても覚めても歩きたくてしょうがなかった。手足を3本失ってから初めて1人で外出できるようになり、「自分の力で自立をつかみ取れた」という気持ちでした。

   年が明けて2013年1月ごろには、杖なしでも1人で歩けるようになりました。「1年から1年半」と言われていた中、リハビリ自体は4か月くらいで終えることができました。最終的に退院したのは、入院から半年後の3月でした。

   退院から9年近く経ちました。義足で歩けるようになり、これまで水泳や陸上競技などスポーツに挑戦したことがありました。

   この体でできることは、今後もどんどん増やしていきたいです。いろんな可能性をもっと探りたい。たとえば、スキューバダイビング、スキーやスノーボードはいけるか、といったことにもチャンレジしてみたいです。

   手足が3本ない体で、義足を履くことで何ができるか。残った片腕で何ができるか。それを示していくのが、YouTubeをはじめとした僕の発信で大事にしていることです。

(構成:J-CASTニュース編集部 青木正典)