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カズオ・イシグロはデビュー作から謎めいている

遠い山なみの光

 

 ノーベル文学賞を今年(2017年)受賞したカズオ・イシグロのデビュー作で、日本を舞台(それもイシグロが生まれ幼少期を過ごした長崎)ということで、どの書店に行っても平積みにされ、実際よく売れている。しかし、そういうマーケティング的な要素をいったん置いて作品に向かい合うと、どうにも居心地の悪さを感じない訳にはいかない。主人公の悦子の境遇がどうにも不可解なのだ。

 

 日本を離れ、英国で英国人と再婚し、ニキという年ごろの娘をもつ悦子だが、日本人の前夫との間に生まれた景子という長女に数年前自殺され、「日本人には本能的な自殺願望がある」と英国紙に書かれるなど、人に言いたくない過去がある。

 

 そこから朝鮮戦争期の長崎へと悦子の長い回想が始まる。佐知子と万里子という母娘とたまたま知り合った悦子は、なにかと二人の面倒を見る。佐知子は東京の上流階級の出身らしいが、いまはアメリカに連れていくというアメリカ人の愛人のことばを信じて長崎にたどりついた寡婦にすぎない。小説はあまり地の文がなく、悦子と佐知子の会話で進む。池澤夏樹氏は「会話がプロットの中心に堂々とある」と解説に記している。だが、「二人が言うことは完全にずれていて、ほとんど滑稽でもある」とも。

 

 そんな中で、敗戦により、そして長崎への原爆投下により、運命が変わった周囲の人々の様子がおいおい分かってくる。暗く厳しい戦後の生活の中で、復興景気にわく会社に勤める当時の夫の二郎と妊娠中の悦子だけが明るく向日的に描かれる。

 

 最終章でふたたび場面は現在の英国に戻る。ロンドンに戻るというニキを見送る場面で小説は終わる。悦子はなぜ二郎と別れ、英国に来たのか、景子はなぜ自殺したのかなど多くの謎は残ったままだ。だが、著者はわざとそんなふうにしているのかもしれない。

 

 本作は『女たちの遠い夏』という邦題で1984年に筑摩書房から刊行され、2001年に早川書房から刊行されるのに際し、訳者の小野寺健氏が原作者の意図をくんで改題したという。薄明の中にさした一筋の光。常に前向きな悦子の生き方から読者はほんの少しの勇気をもらえるかもしれない。

  • 書名 遠い山なみの光
  • 監修・編集・著者名カズオ・イシグロ 著 小野寺健 訳
  • 出版社名早川書房
  • 出版年月日2001年9月15日
  • 定価本体700円+税
  • 判型・ページ数文庫判・275ページ
  • ISBN9784151200106
 

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