読むべき本、見逃していない?

日本を代表する碩学と、「同行二人半」の意味は?

  • 書名 井筒俊彦の学問遍路
  • サブタイトル同行二人半
  • 監修・編集・著者名井筒豊子
  • 出版社名慶應義塾大学出版会
  • 出版年月日2017年9月25日
  • 定価本体4000円+税
  • 判型・ページ数A6判・210ページ
  • ISBN9784766424652

 「碩学」という言葉がほとんど死語になって久しい。学問を広く深く修めた学者のことである。

 一昔前なら鈴木大拙、諸橋轍次、中村元氏らの名が思い浮かぶが、近年、最後の碩学として知られるのは慶應大学名誉教授だった井筒俊彦氏(1914~93)だろう。本書『井筒俊彦の学問遍路』はその井筒氏について、妻の井筒豊子さん(1925~2017)がつづった記録である。

「使い物になっていた外国語」が20数か国語

 作家や画家の妻が夫のことを書いた本はあるが、学者の妻によるものは珍しいのではないか。天才と言われた井筒氏はどんな人だったのか。色々と面白いことが書かれているに違いないと推測し、野次馬的な興味もあって手に取ってみた。

 井筒氏は「コーラン」の翻訳で知られ、言語学者、イスラム学者、東洋思想研究者、神秘主義哲学者として国際的に著名だった。慶應大学に籍があったが、実際には海外の大学や研究施設にいた時期が長い。日本語だけでなく外国語で書かれた多数の著書があり、『井筒俊彦著作集』(全11巻・別巻、中央公論社)や、『井筒俊彦全集』(全12巻・別巻、慶應義塾大学出版会)としてまとまっている。

 本書をめくると、ただちに井筒氏の語学力の「スーパーぶり」を知ることができる。「使い物になっていた外国語」は20数か国語。アラビア語は「フスハー」(文語)を話せたので、現地の人もびっくり。西洋のギリシャ思想に関する本は全部読み、ギリシャの本は原語で読んでいた、若いときからロシア語が得意で、ドストエフスキーなど主要なロシア文学の作品はロシア語で読了、著書『ロシア的人間』はおもしろがりながら一気呵成に書き上げた...。

 初めて海外に行ったのは40代半ばだったそうだが、大概の言語ができたので、ほとんど苦労することはなかったようだ。ここまでずば抜けていると、うらやましいという感情を超えて、ただただ頭を垂れるのみ。

手書きで原稿をタイプで打ち直すのが豊子さんの仕事

 残念ながら本書では、どうして井筒氏がそんなに簡単に語学を習得できたのかということはほとんど書かれていない。わずかに「英・独・仏・露・スウェーデン語の会話は、リンガフォンを使って随分勉強していた」という記述が目についた程度だ。同じようにリンガフォンを使ったことがある人は少なからずいたと思うが、大概は英語ぐらい、それも挫折した人が多かっただろうから、余り参考にならない。要するに、海外の学者で時たまいる「語学の天才」だったのだろう。

 本書は三部構成になっており、第1部は慶應義塾大学出版会の編集者が豊子さんにインタビューし、それを本人が手を入れ文字化したもの。2部は豊子さんが雑誌に書いたエッセイ。3部は、「言語フィールドとしての和歌」など豊子さんの論文。実は豊子さんは東大文学部出身で、小説なども書いたことがある筆達者なのだ。

 慶應義塾大学出版会が豊子さんにインタビューを申し込んだところ、当初は「井筒は研究し私は食事を作っていただけです」と遠慮されていたそうだ。ある時から、気持ちが変わり、「同行二人半」という副題も付けてまとめられた。

 四国のお遍路さんは、弘法大師と一緒に歩いているということで「同行二人」と言われる。しかし、「二人半」とはどういう意味なのか。

 井筒さんの膨大な著作は、手書きで原稿が書かれ、それをタイプで打ち直すのが豊子さんの仕事だったという。普通の原稿ではない。20数か国語が入り乱れる論文である。「内助の功」などというレベルを超えている。豊子さんなしで井筒氏の膨大な著作は日の目を見なかったということだ。

 井筒氏はたぶん、学問の神様、もしくは世界の神々と「同行二人」の学究生活を続けたのだろう。そこに豊子さんも「半分は付き添いました」――そんな意味が副題に控えめに込められているのかなと勝手に解釈した。

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