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街角の広告――選挙運動の自由(第8回)

学習院大学名誉教授 戸松秀典

1 政治家のポスター

 街角の広告塀や人家の壁に政治家や政党のポスターが貼ってあり、散歩をしているとき、それを横目で見ながら通り過ぎることがよくあります。政治家のポスターについては、その表示内容が営業商品や商店の広告と異なり、人物の胸像または立像が紙面の大部分を占めていることが特徴です。ですから、歩いていても、つまり立ち止まって見つめなくとも、印象が頭に残ることを否定できません。そこで、この政治家のポスターは、なかなかうまくできているな、ポスター制作者中でも優れた腕前の者によるのだろうと想像して歩いております。そこで、選挙の時に設置される立候補者の掲示と同様な役割を果たしているといってよいようです。

 しかし、選挙時の立候補者のポスターと異なるところがあります。それは、選挙日での投票を依頼することばが全く記されていないことです。議会の議員を目指している、議員としての再選を求めている、あるいは、今度の選挙日には投票してほしいといった記述は全くないのです。

 ところが、日常的に、つまり何かの議会議員の選挙をさほど意識しない通常の日々に、このような効果をもつポスターが貼られていることについて、私は、かなり苦々しい気持になっております。その気持は、選挙にかかわる広告だから法に違反しており、なぜ取り締まらないのかといった感情では全くありません。誤解しないで下さい。そうではなくて、もっと堂々と選挙での当選を依頼する、あるいは、選挙となったらこれまでと変わりなく議会に送り込んで下さいといった趣旨のポスターとしないことについてです。これまでのこの欄で述べたこととの関連でいえば、表現の自由という自由における規律として納得できないことに耐えて、このポスターは、街角に存在しているといってよいものです。これを日常的に見ている人々は、政治家が自己の存在を訴えている、選挙になれば立候補者として名乗るのだと理解しており、規律に違反しているなどとは思っていないはずです。

 なぜ、そのように訴えたいことを押し殺した、あえていえば姑息な手法の内容のポスターが貼られているのでしょうか。

2 選挙運動の自由の規制

 この政治家のポスターについての問いに対しては、事前運動が禁止されているからだと、誰もが答えることができるようです。そうであるから、街角や人家の壁に貼られている状態に対して社会で特別に問題とされていないといってよいようです。あるいは、おかしいかもしれないが、長い間なされていることだから疑問を提起したり、変更したりする余地がないと思われているのかもしれません。そうであるからこそ、私の苦々しい気持ちは、収まらず、散歩のたびに湧き上がっているのです。

 確かに、選挙では事前運動が公職選挙法によって禁止されており(注1)、一定の選挙運動期間にだけしか選挙運動をしてはならないことになっています。日本国憲法のもとで、ずっとその状態が維持されてきております。いや、明治憲法のもとで発足した普通選挙制度において、この事前運動の禁止は打ち出され、それが今日までつづいているというのが正確です。この制度の発足時は、資産家だけでなく、無産の大衆が選挙過程に入ってくることを抑制するためであったのですが、日本国憲法のもとでは、そのような抑制は、明らかに許されません。しかしながら、表現の自由が保障され、政治活動の自由すなわち選挙運動の自由がもっとも基本的な自由であるとの理解がなされている日本国憲法のもとで、事前運動の禁止は、廃止とか改正がなされないまま存続しているのです。

(注1)それは、公職選挙法129条ですが、この公職選挙法の規定は、読んですぐ理解できないような定めに満ちており、このコラムの性格上、以下ではいちいち該当規定にふれることはやめておきます。

 国や自治体の議会の議員となって政治に貢献したいと決意した人が、日常的に、国民や市民にその意思を表明し、自己の主張を訴えることは、選挙運動そのものだといってよいはずです。すでに議員となっている人のさまざまな活動は、次の選挙での評価に結びつくので、それも選挙運動といえます。こういうわけで、その概念が漠然としている選挙運動を、選挙運動期間(注2)にだけしか認めないという法制度は、まことに不合理、不明確、不思議な制度といえないでしょうか。選挙の公明さや適正さを確保することは選挙にとって重要なことですが、それを害する選挙運動の仕方に対しては、規制の手段がいろいろあり、公職選挙法にはそれが定められています。選挙運動の期間を限ることによって、選挙の公明さや適正さが確保できるとはとうてい納得できません。

(注2)選挙運動期間は、参議院選挙の17日間から町村長選挙の5日間まで、選挙により異なるが、時を経るとともにだんだん短くなってきた。

 さて、事前運動の禁止に加えて、戸別訪問の禁止と選挙用の文書・図画(これは、公職選挙法がビラやポスターのことを指していることばです)の制限が公職選挙法によりなされていて、選挙運動の三大規制と呼ばれています。これらの不合理性についても述べたいのですが、長くなるので、止めておきます。

3 選挙運動の自由の実現

 街角に貼られている政治家のポスターについて、苦々しい気持ちになっていることに話を戻します。 健康維持のために行っている散歩で、事前運動の禁止を背景に貼られている政治家のポスターを、冷静に見られるようにするためにはどうすればよいのか、考えてみます。

 すぐ思いつくことは、事前運動の禁止を廃止することです。それは、議会の担い手である議員が行う立法作業ですから、国会議員が不合理さを認識して着手すればよいのです。しかし、この単純なことがどうして70年ほどの長い年月に手つかずできたのでしょうか。その理由を、私が徹底した調査をしたうえでのことではないのですが、いくつかあげることができます。

 まず、日本国憲法の発足時には、国会議員が事前運動の禁止を表現の自由ないし政治活動の自由の不合理な制限であることを深刻に考えず、選挙事務を取り仕切る自治省(現在の総務省)に任せきりだったことがあげられます。しかし、今日では、それは正当化の理由になりません。また、現役の議員は、自分の議員活動にエネルギーを投入している間に、新人議員が選挙運動に没頭して集票できるため自己の地位が脅かされる、だから選挙運動を限定すべきだと主張されます。しかし、それは、既存議員の地位を守るための勝手な考えです。さらに、有力議員や大物といわれる議員は、選挙運動などしなくとも当選できるし、すでに築かれた選挙地盤を家族が継ぐことができ、日常的選挙運動の意義に関心が及ばず、制度改革が軽視されていることです。なお、選挙には金がかかるから、選挙運動期間を限った方が資金の節約になるという理由もあるようですが、選挙に金が必要であることは、現状でも変わりなく、説得的理由ではないでしょう。

 他に、制度改革を妨げる理由がいくつかあるようですが、結局は、選挙の事前運動禁止にまつわる不合理性を認識して、打開しようとする意欲が政治過程に展開しないからだというべきでしょう。民主主義の政治体制がこんな状況であることに照らすと、憲法改正の議論は、はるかに実現にほど遠いように思われるのですが、読者の皆さんはどうお考えでしょうか。

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■著者プロフィール


tomatsu_pf.png 戸松 秀典 憲法学者。学習院大学名誉教授。

1976年、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了(法学博士)。新・旧司法試験委員、最高裁判所一般規則制定諮問委員会委員、下級裁判所裁判官指名諮問委員会委員、法制審議会委員等を歴任。

●著書等
『プレップ憲法(第4版)』(弘文堂、2016年)、『憲法』(弘文堂、2015年)、『憲法判例(第7版)』(有斐閣、2014年)、『論点体系 判例憲法1~3 ~裁判に憲法を活かすために~』(共編著、第一法規、2013年)、『憲法訴訟 第2版』(有斐閣、2008年)など著書論文多数。

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