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池田大作氏、「反戦平和」の原体験を明かす

私の履歴書

 このところ池田大作・創価学会名誉会長の消息がほとんど聞かれなくなった。主要紙では年頭に池田氏の平和への提言が短文で掲載されるぐらい。

 2年ほど前、創価学会の会長が朝日新聞のインタビューに応じ、そこでは池田氏が元気で活動しているようなことが説明されていた。知り合いの学会関係者に聞くと、最近の内輪の集会では、編集された映像が流されているという。何かと池田氏に批判的な週刊誌でも、名前を見ることがなくなってしまった。

苦労の多かった少年時代

 動静が気になるのは、日本がいつのまにか、ひょっとして池田氏の思いとはやや別の方向に進んでいるのではないかと思うからだ。安倍政権下で憲法はすでに「解釈改憲」され、「戦争ができる国」に変わっているという識者の指摘も目立つ。

 池田氏の『私の履歴書』(聖教新聞社出版局)は、1975年に日経新聞に連載されたものを書籍化、さらに2016年に文庫化したものだ。古い本だが、最近文庫になっているということは、大事な一冊ということだろう。本書を読むと、池田氏の「反戦と平和への思い」がひしひしと伝わってくる。

 1928年に東京の大田区で、海苔製造業者の5男として生まれた池田氏は、父が病気がちで家業が傾き、苦労の多い少年時代を送る。小学生の時から新聞配達で家計を助けたが、健康もすぐれず、幼少時から病に悩まされた。兄たちは次々と召集され、自分は高小を出て近所の工場で働く。旋盤でネジを切り、フライス盤で切削作業。作っている製品の詳細は軍事機密とされていたが、設計図や完成品を見れば何なのか分かる。特殊潜航艇、いわゆる人間魚雷の製造にも関わっていた。一方で結核が進行し、高熱を出し血痰を吐くこともたびたびだった。

出征した兄は帰ってこなかった

 1945年に入ると戦況がいちだんと悪化、空襲は日々激しさを増し、住んでいた家は丸焼けに。ほとんど何も持ち出せなかった。近隣は焼け野原。「戦争の無残さは、津波のように我が家を襲い、すべてをめちゃくちゃにした」と振り返り、こう続ける。

 「私はいつとはなしに戦争の無意味さを、問い始めるようになっていた。何のための戦争か。戦争の悲惨さはこの五体に刻み込まれ、その体が戦争の告発へと向かっていったのである」

 「私の反戦平和への心の軌跡をたどるとき、こうした原体験から発していることは明らかである」

 戦争が終わると、出征していた兄たちが切れ切れに帰国してきた。しかし、長兄だけは行方不明のままだった。「大丈夫だ、かならず生きて帰ってくる」と、母は自らを励ましていたが、終戦2年目の年が明け桜も散ったころ、役所の人が一通の便りを持って家に訪ねてきた。母は丁寧にお辞儀をして書状を受け取り、すぐに後ろを向いてしまった。享年26歳。とっくにビルマで戦死していたとの報だった。

 池田氏は長兄と特に親しかった。割れた鏡の破片を互いに持って、「形見」としていた。池田氏はその破片を胸に空襲下の東京で焼夷弾をくぐった。破片は手元で持ち続け、妻が桐箱に入れて大事にしまった。後に池田氏はインドに行く途中で、わざわざビルマのラングーンで降りて、無名戦士の墓に詣でた。「戦争の無残さを、私は南の空の青さとともに、この胸にしっかりと刻印して帰ったのである」。

最大の趣味は読書

 よく知られているように池田氏は創価学会を巨大化させることに成功した宗教指導者であり、公明党の生みの親でもある。そのパワーと指導力、カリスマ性が群を抜いていたことは、のちに批判者となった人たちも認めている。戦後の日本社会で池田氏ほど長期にわたり、多方面に影響力を発揮してきた人物は他にいない、と言っても過言ではないだろう。

 日経新聞で池田氏が「私の履歴書」を連載したのは47歳になったばかりの時だ。多数の有名人が「履歴書」を書いているが、40代でというのはほとんどいないのではないか。若くして破格の存在だったことの証だろう。当時すでにワルトハイム国連事務総長、ソ連のコスイギン首相、中国の周恩来首相、米国のキッシンジャー国務長官らと自在に会っている。

 本書は、他の多くの「履歴書」と同じように、幼少時や若いころの苦労話が尽きないが、その中でちょっと異質なのは、「読書体験」が詳細につづられていることだ。働きながら神田の夜学に通い、読書だけは続けた。「人に負けないほど読んだと思っている」「読書は、私にとって人生最大の趣味の一つ」と記し、10代から20代はじめのころに読んだ本や著者の名前がこれでもかというぐらい、山のように出てくる。

 内容は忘れてしまった、と謙虚だが、石川啄木、有島武郎、国木田独歩、幸田露伴、内村鑑三、ダーウィン、カーライル、トルストイ、勝海舟、バクーニン、三木清、プラトン、ルソー、ガンジー、孫子、阿部次郎、モンテーニュ、中江兆民、プレハノフ、エマーソン、幸徳秋水、高山樗牛、武者小路実篤、ゲーテ、バイロン、ベルクソンなどなどの名が並ぶ。後年の宗教的な立場とは異なる人たちの名も出て来るが、余裕というべきか。

 日中戦争については「中国大陸への不当な侵略戦争」と明記し、「核廃絶」を学会の先代、戸田城聖会長の遺訓としていた池田氏。「私はただただ恩師の遺訓のままに、世界の平和にこの身を粉にして行動する以外にないと決めている」と書いていた。

 そういえば安保法制が問題になった時、一部の学会員が反対しているということが報じられた。池田氏はどう考えていたのだろうか。残念ながら、あのとき池田氏の肉声は、大手マスコミでは拾えていなかったと記憶している。

  • 書名 私の履歴書
  • 監修・編集・著者名池田大作 (著)
  • 出版社名聖教新聞社出版局
  • 出版年月日2016年1月26日
  • 定価本体716円+税
  • 判型・ページ数文庫・182ページ
  • ISBN9784412015913
 

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