読むべき本、見逃していない?

日本の街並はなぜオモチャ箱のように雑然としているのか?

  • 書名 日本の醜さについて
  • サブタイトル都市とエゴイズム
  • 監修・編集・著者名井上章一 著
  • 出版社名幻冬舎
  • 出版年月日2018年5月30日
  • 定価本体800円+税
  • 判型・ページ数新書判・235ページ
  • ISBN9784344984981
BOOKウォッチ編集部コメント

 あなたは自分のふるさとの悪口を書けるだろうか? 京都で生まれ育ち、今も京都にある国際日本文化研究センターで教授をつとめる井上章一さんが、京都についての違和感を表明した本を2冊も書いた勇気はたいしたものだと思う。その『京都ぎらい』と続篇『京都ぎらい官能篇』は、ベストセラーとなり、京都をありがたがる日本人が多い割に、京都への反感を持つ人が意外と少なくないことも明らかになった。

 その井上さんの近刊が『日本の醜さについて』(幻冬舎新書)だ。今回井上さんがやり玉に挙げたのは、日本人の協調性や集団主義といった国民性への幻想だ。建築史を専門とする井上さんは、ヨーロッパの伝統的な都市の統一的な街並に対して、日本の都市のばらばらで個性的なビルが立ち並ぶ景観に言及する。「日本人を論じる材料として、建築はないがしろにされたきた」と井上さんは憤る。雑然とした醜い街並を見る限り、どこに日本人の協調性があるというのだ、と指摘する。

 古都京都とて例外ではない。文化財を守るために米軍が空襲しなかったというのは全くのウソであるとして、歴史家の吉田守男氏の立証(『日本史研究』1994年7月号)を紹介しつつ、「今の京都に、その古い街並は、ほとんどのこっていない」。さらに中心街の多くは「さまざまな色や形の建物が、てんでにならぶ無秩序な景観を、成立させてきた」と怒る。

 江戸時代まで、それなりに街並の秩序が守られてきたのは、幕府や大名が身分によるけじめを家作制限としてもうけてきたからだという。明治維新によって日本のブルジョワは建築にかんしては「『何でもあり』とさえ言いうる自由を、手にいれたのである」と説明する。

社会科学者と文学者の誤り

 ここから井上さんの批判は社会科学者と文学者へ向かう。社会科学者の眼に街並など入っておらず、観念だけを相手にしたのだと。文学者、中でも『日本文化私観』で建築など「バラックでいい」と書いた坂口安吾への舌鋒は鋭く、安吾が建築について自ら「不案内」としていることに「『知らない』のなら、だまっていたらいいのに」と書き、建築を観念の代用品とする態度を批判する。

 安吾の「必要こそが美をもたらす」という考え方は、建築界にもあり「機能主義美学」と呼ばれ、1960年代には主流となり、70年代まで残ったという。井上さんは街並の調和よりも自社ビルの事情を優先するのはエゴイズムであるとして、議論は冒頭の日本人論に戻ってくる。

 以前、本欄で『日本の建築家はなぜ世界で愛されるのか』(五十嵐太郎著、PHP新書)を紹介したが、井上さんは建築における「日本人の世界的な活躍じたいは、めでたいことかもしれない。しかし、私じしんは、皮肉な現象だと思っている。それは、乱雑な街並の副産物でもあるのだから」と書く。「何でもあり」の建築が日本中にあふれているから、世界のどんな要請にも応えることができるとしたら、哀しいことだが、日本の街はオモチャ箱のようなものなのかもしれない。  

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